日本歴史地名大系 「遠敷郡」の解説
遠敷郡
おにゆうぐん
県の西南部、若狭地方の中央に位置し、天長二年(八二五)までは大飯郡を含み、また小浜市の成立までは同市域のほとんどをも郡域としたが、現在は三方郡三方町と小浜市に挟まれる上中町と、間に小浜市を挟み、小浜市および大飯郡大飯町に北接する名田庄村との一町一村。上中町の南は滋賀県
郡名は藤原宮出土木簡に「小丹生評」(文武元年のものほか)がみえ、年不詳の同木簡に「小丹生郡」もみえる。表記は現在までに発見されている平城宮出土木簡のうち和銅五年(七一二)一〇月のものまで「小丹生」であるが、同六年以降は「遠敷」となる。同年五月の好字令(続日本紀)による変化であろう。訓は「乎尓不」(「和名抄」刊本郡部)。郡名は以後正式には遠敷であるが、戦国期には「中郡」の私称もあった(大永四年八月二六日付「武田元光加判光経奉下知状」神宮寺文書)。
〔原始〕
縄文・弥生遺跡は名田庄村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報