遠敷郡(読み)おにゆうぐん

日本歴史地名大系 「遠敷郡」の解説

遠敷郡
おにゆうぐん

面積:二二五・三八平方キロ
上中かみなか町・名田庄なたしよう

県の西南部、若狭地方の中央に位置し、天長二年(八二五)までは大飯郡を含み、また小浜市の成立までは同市域のほとんどをも郡域としたが、現在は三方郡三方町と小浜市に挟まれる上中町と、間に小浜市を挟み、小浜市および大飯郡大飯町に北接する名田庄村との一町一村。上中町の南は滋賀県高島たかしま今津いまづ町、名田庄村の南は京都府北桑田きたくわだ美山みやま町。上中町の中央部をきた川が西北流し、支流鳥羽とば川が南流して町の中央で合流、両川沿いに平地が開けるほかは山がちである。三方町および小浜市とは町の中央を東西に通る国道二七号(丹後街道)で、今津とは国道三〇三号(九里半街道)で結ばれる。一方、名田庄村は県の最西南端にあたり、名田庄村納田終のたおいに源を発するみなみ川が東流して小浜市へ抜け、その流域にわずかに平地が開けるほかは山岳地帯である。美山町から当地に入りほぼ南川沿いに小浜市へ通ずる国道一六二号(丹波街道)が主交通路。

郡名は藤原宮出土木簡に「小丹生評」(文武元年のものほか)がみえ、年不詳の同木簡に「小丹生郡」もみえる。表記は現在までに発見されている平城宮出土木簡のうち和銅五年(七一二)一〇月のものまで「小丹生」であるが、同六年以降は「遠敷」となる。同年五月の好字令(続日本紀)による変化であろう。訓は「乎尓不」(「和名抄」刊本郡部)。郡名は以後正式には遠敷であるが、戦国期には「中郡」の私称もあった(大永四年八月二六日付「武田元光加判光経奉下知状」神宮寺文書)

〔原始〕

縄文・弥生遺跡は名田庄村三重みえいわはな遺跡、上中町つつみ向山むかいやま遺跡、同大鳥羽おおとばの大鳥羽遺跡が確認されているにすぎないが、古墳は上中町に多い。現在までに発見されている最古のものは大鳥羽の城山しろやま古墳(四世紀後半)で、若狭地方唯一の山上に造られた前方後円墳である。脇袋わきぶくろには西塚にしづか古墳・上之塚じようのづか古墳・中塚なかつか古墳があり、五世紀代に若狭地方の首長であった膳臣一族のものと考えられている。日笠ひかさにも上船塚かみふなづか古墳・下船塚古墳があり、以上五古墳はいずれも前方後円墳で国指定史跡。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報