元中之町
もとなかのちよう
中央を東西に元誓願寺通が通り、東は智恵光院通。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「中ノ丁」とあるが、寛文後期の洛中洛外之絵図に「本誓願寺通中町」、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成も「本せいぐわんし中之丁」で、現町名はそれ以後と思われる。明和四年(一七六七)から明治初期までの沽券帳(元中之町文書)によれば、町の北側に一五軒、南側には二〇軒の家があり、町会所は北側西より八軒目で、表口二間八寸・裏行一七間三尺の規模であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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