近世都市における町方の自治機関で,町役人の寄合や町務をとる場。一般に町会所・総会所と呼ばれるが,城下町の町奉行所の中には町役所以外に高知などのように町会所と唱えた例もある。また,宇治の会合所,山田の三方会合所,大津の人馬会所(明和ごろより),高山の町年寄詰所や丹後宮津の町用場など各都市独自の呼称もある。
中世末に都市自治を展開させた堺・今井・平野郷・貝塚や京都,そして経済都市として近世に大いに栄えた大坂などでは,各都市内の個々の町にも町会所が設けられ,その上に全体の町会所の惣会所が各組・各筋ごとあるいは惣町に設けられた。このほか町人の経済活動が活発な港町や商業都市でも町全体の町会所が設けられることが多い。一方,城下町では宇都宮のように各町に会所坊が設けられたものがあるが例外的存在で,反対に町奉行の役所に町役人が詰めて執務し,町会所を設けない所もある。事務繁多や町役人増加などにより,惣町のために町会所を設置することがみられるようになるが,この場合も重要な用務や特定の日に町奉行が出座することがみられた。次に宿駅の中にも奥州・松前道の須賀川や東海道の四日市のように町会所を設けた事例があるが特異な例である。なお,江戸の町会所は町務全般をつかさどる町会所とは異なり,窮民救済と困窮地主への低利融資をはかる特別な機関であった。
惣町の町会所では町役人が詰め執務するが,特定の日以外は交代で町役人が町務をとった。その職務は町政全般にわたり,行政・民事司法に加え,町方にかかわる犯罪者の捜索や捕縛の警察面にまで及ぶことが一般である。このため白洲や小規模な牢屋を設けることもあった。また,藩の来客や幕吏の宿泊接待所に利用する所もあった。高山では医学会談や心学講談の会場に使用されるなどしたが,京都では髪結を会所守とし,髪結床を付設する町もみられた。
執筆者:深井 甚三
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…そして米価騰貴のときなどは全住民の80%くらいが拝借米の支給をうけないと生活が維持できなかった。 幕府がこうした数多い下層民のために拝借米の支給や町会所を通しての米金の施行に力をつくしたのも,将軍家のおひざもとである江戸に社会不安をひきおこしたくなかったからである。江戸の民衆の打毀(うちこわし)は1733年の米問屋高間伝兵衛への打毀が最初であるが,87年(天明7)の大打毀は,これによって田沼政権から松平定信の時代に変わっていったほどの事件として評価された。…
…また各町留保の節減分を,一分積金として独自に運用する町もあった。
[江戸町会所の機能]
七分積金は毎年2万~2万5000両に及び,勘定奉行所や町奉行所の監督の下,江戸町人の代表によって運用された。このため神田向柳原(むこうやなぎわら)には12棟の囲籾蔵(かこいもみぐら)とともに江戸町会所が設置された。…
…なお,窮民層の固定化現象が現れる江戸中期以降,災害時に限らず日常時の救済も企てられ,社会的底辺層に御救米が与えられた。1792年(寛政4)設立の江戸町会所による窮民救済は,日常時の窮民のほか,災害時の救済として,火災などの類焼者に限定されるものと,飢饉など江戸町人別の窮民全体を対象とするものとがあった。後者の場合は,江戸町人別のおよそ60%が窮民として御救米を受けた。…
※「町会所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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