町会所(読み)マチガイショ

デジタル大辞泉 「町会所」の意味・読み・例文・類語

まち‐がいしょ〔‐グワイシヨ〕【町会所】

《「まちかいしょ」とも》
江戸時代町内用務のために町役人などが寄り合った所。
江戸時代、七分積み金事務を取り扱うため、江戸浅草向柳原むこうやなぎはらに設けられた会所

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精選版 日本国語大辞典 「町会所」の意味・読み・例文・類語

まち‐かいしょ‥クヮイショ【町会所】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「まちがいしょ」とも )
  2. 江戸時代、町内の用務のために町役人などが寄り合った所。〔和英語林集成初版)(1867)〕
  3. 江戸時代、寛政四年(一七九二)神田向柳原に設けて江戸各町の備荒積立金を取り扱った所。江戸町会所。〔万年帳‐二番・肝煎名主共(古事類苑・政治七四)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「町会所」の意味・わかりやすい解説

町会所 (まちかいしょ)

近世都市における町方の自治機関で,町役人の寄合や町務をとる場。一般に町会所・総会所と呼ばれるが,城下町の町奉行所の中には町役所以外に高知などのように町会所と唱えた例もある。また,宇治の会合所,山田の三方会合所,大津の人馬会所(明和ごろより),高山町年寄詰所や丹後宮津の町用場など各都市独自の呼称もある。

 中世末に都市自治を展開させた堺・今井・平野郷・貝塚や京都,そして経済都市として近世に大いに栄えた大坂などでは,各都市内の個々の町にも町会所が設けられ,その上に全体の町会所の惣会所が各組・各筋ごとあるいは惣町に設けられた。このほか町人の経済活動が活発な港町や商業都市でも町全体の町会所が設けられることが多い。一方,城下町では宇都宮のように各町に会所坊が設けられたものがあるが例外的存在で,反対に町奉行の役所に町役人が詰めて執務し,町会所を設けない所もある。事務繁多や町役人増加などにより,惣町のために町会所を設置することがみられるようになるが,この場合も重要な用務や特定の日に町奉行が出座することがみられた。次に宿駅の中にも奥州・松前道の須賀川東海道四日市のように町会所を設けた事例があるが特異な例である。なお,江戸の町会所は町務全般をつかさどる町会所とは異なり,窮民救済と困窮地主への低利融資をはかる特別な機関であった。

 惣町の町会所では町役人が詰め執務するが,特定の日以外は交代で町役人が町務をとった。その職務は町政全般にわたり,行政・民事司法に加え,町方にかかわる犯罪者の捜索捕縛の警察面にまで及ぶことが一般である。このため白洲や小規模な牢屋を設けることもあった。また,藩の来客や幕吏の宿泊接待所に利用する所もあった。高山では医学会談や心学講談の会場に使用されるなどしたが,京都では髪結を会所守とし,髪結床を付設する町もみられた。
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百科事典マイペディア 「町会所」の意味・わかりやすい解説

町会所【まちかいしょ】

江戸時代,町役人が寄合い町政事務を執ったところ。〈まちがいしょ〉とも。伊勢宇治(現三重県伊勢市)の会合所,飛騨高山の町年寄詰所,丹後宮津の町用場など地域によって呼称はさまざま。惣町で置く場合は惣会所ともいう。京都・大坂・摂津堺などでは各町の町会所の上に惣町の惣会所があった。江戸では自身番屋が一般の町会所に,樽屋・奈良屋・喜多村の3町年寄の役所が惣会所にあたった。ただし,初期には各町の月行事(がちぎょうじ)が町年寄役所に交替で詰めていたが,のちに代銭納となり,手代を雇って事務を処理したので,いわゆる町会所ではなくなった。また江戸では1791年に各町の七分積金を扱う役所が向柳原(むこうやなぎはら)(現台東区)に設けられ,これを町会所とよんだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「町会所」の意味・わかりやすい解説

町会所
まちかいしょ

江戸時代,都市における一種の自治的機関で集会所,事務所などをさす。町年寄,町名主などがここで町務をとったが,大坂のように町年寄の住宅とは別に町会所を設ける場合と江戸のように名主の住宅をそのまま町会所にあてる場合があった。寛政の改革によって江戸町会所と称するものが設置されたが,これは半官半民の金融機関であった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「町会所」の解説

町会所
まちかいしょ

江戸時代,自治的な市政事務をとる所
大坂では惣会所の下にあり,町年寄が出勤して事務をとったが,江戸では町名主の玄関間がそれにあてられた。

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世界大百科事典(旧版)内の町会所の言及

【江戸】より

…そして米価騰貴のときなどは全住民の80%くらいが拝借米の支給をうけないと生活が維持できなかった。 幕府がこうした数多い下層民のために拝借米の支給や町会所を通しての米金の施行に力をつくしたのも,将軍家のおひざもとである江戸に社会不安をひきおこしたくなかったからである。江戸の民衆の打毀(うちこわし)は1733年の米問屋高間伝兵衛への打毀が最初であるが,87年(天明7)の大打毀は,これによって田沼政権から松平定信の時代に変わっていったほどの事件として評価された。…

【七分積金】より

…また各町留保の節減分を,一分積金として独自に運用する町もあった。
[江戸町会所の機能]
 七分積金は毎年2万~2万5000両に及び,勘定奉行所や町奉行所の監督の下,江戸町人の代表によって運用された。このため神田向柳原(むこうやなぎわら)には12棟の囲籾蔵(かこいもみぐら)とともに江戸町会所が設置された。…

【救米】より

…なお,窮民層の固定化現象が現れる江戸中期以降,災害時に限らず日常時の救済も企てられ,社会的底辺層に御救米が与えられた。1792年(寛政4)設立の江戸町会所による窮民救済は,日常時の窮民のほか,災害時の救済として,火災などの類焼者に限定されるものと,飢饉など江戸町人別の窮民全体を対象とするものとがあった。後者の場合は,江戸町人別のおよそ60%が窮民として御救米を受けた。…

※「町会所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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