上京区(読み)カミギョウク

デジタル大辞泉 「上京区」の意味・読み・例文・類語

かみぎょう‐く〔かみギヤウ‐〕【上京区】

上京

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日本歴史地名大系 「上京区」の解説

上京区
かみぎようく

面積:九七・三一三平方キロ

京都盆地の中央やや北寄りの地域。北は鞍馬口くらまぐち通を隔て北区と、南はほぼ丸太町まるたまち通を隔て中京区に接するが、いずれも多少の出入りがある。東はかも川(賀茂かも川)を隔てて左京区、西は天神てんじん川を隔てて北区に接する。

区内南東部には御所がある。寺町てらまち通以西の一条通以南は平安京の境域であって、かつての大内裏、内裏も区内西南部にあった。

区の中央部を北から南へほり川が貫流するが、現在ではほとんど水流がない。

〔原始〕

上京区域はかつての賀茂川高野たかの川の合流点(現四条から五条辺り)よりかなり北ではあったが、東部はおおむね沖積層の礫質砂層であり、西部は粘土または粘土質砂層である。もっとも北部の船岡ふなおか山辺りは、新期洪積層となっていた。この地域には縄文時代の遺跡は発見されておらず、わずかに内膳町弥生遺跡から弥生前期の土器・石器が出、また京都御苑きようとぎよえん内に古墳群の存在が確認されている。

〔古代・中世〕

平安遷都以前の京都盆地については不明な点が多いが、葛野かどの郡と愛宕おたぎ郡の境は、現堀川の辺り(旧賀茂川ともいわれる)であったと思われる。この川を挟んで東側に出雲いずも郷、西側に上林かむつはやし郷があり、上京区北部から北区南部辺りはこの二郷に含まれていたと思われる。

平安京の大内裏は、現在の通りでは、北は一条通、南は二条通、東は大宮おおみや通、西は御前おんまえ通に囲まれた長方形の区域であった。また内裏は、ほぼ北は下長者町しもちようじやまち通、南は下立売しもたちうり通下ルまで、東は智恵光院ちえこういん通と浄福寺じようふくじ通の間、西は千本せんぼん通の西入までの方形の地域にあった。従って大内裏内の重要な建物はかつて本区内にあり、大内裏をとりまく、官衙町の諸町、諸施設も多くこの地にあった(→平安京

〔中世〕

平安京は朱雀大路すざくおおじを中心に、東(左京)と西(右京)とに分れていたが、湿潤な西京は早く荒廃し田園化した。「思円上人一期形像記」建治元年(一二七五)条に「上下町中」という漠然とした表現で京都を上下に分けて記す。一四世紀末から一五世紀初めに至り、上辺・下辺という表現や、「上京」(「遍智院宮御入壇記」裏書具注暦、応永一〇年一〇月三日条)、「下京」(「山科家礼記」応永一九年五月二日条)などが現れる。室町時代には左京が東や北に拡張され、南の四条室町を中心とする辺りが商工業の中心となって発展した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上京区」の意味・わかりやすい解説

上京〔区〕
かみぎょう

京都市の市街地北部を占める区。京都府庁所在地。 1889年市制施行と同時に設置された2区の一つ。 1929年に左京,中京,東山各区の新設に伴い区域が縮まり,さらに 55年には北区を分区。現在では中京区,下京区とともに市の中心をなす。京都御所をはじめ北野天満宮 (北野神社 ) ,相国寺盧山寺大報恩寺,千本釈迦堂などの社寺があり,所蔵する多くの書画は国宝に指定。史跡・名勝も数多い。面積 7.03km2。人口 8万3832(2020)。

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