光法寺村(読み)みつほうじむら

日本歴史地名大系 「光法寺村」の解説

光法寺村
みつほうじむら

[現在地名]羽島市正木町光法寺まさきちようみつほうじ

南及みなみおよび村の南に位置する大浦おおうら輪中内の村。木曾川対岸に尾張国葉栗はぐり三法寺みつほうじ(現愛知県葉栗郡木曾川町)があり、天正一四年(一五八六)洪水によって木曾川の主流路が変わるまでは一村であったと伝える。年未詳六月八日の下間頼龍奉本願寺御印書(円覚寺文書)に「ミつほうし」とみえる。慶長郷帳には「三つほうし村」とあり、高二五〇石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では旗本津田秀政領(同家領で幕末に至る)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む