旺文社世界史事典 三訂版 「全インド国民協議会」の解説
全インド国民協議会
ぜんインドこくみんきょうぎかい
All India National Conference
インド人がヨーロッパ人の罪を裁くことを認める「イルバート法案」が,イギリス人の反対で骨抜きにされたことに憤ったバネルジーらが結成した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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…刑事訴訟法に改定を加え,インド人判事がヨーロッパ人刑事犯を審理できることを内容としていたが,在インドのヨーロッパ人が激しく反対し,総督は翌年原案を全く骨抜きにした形で再提出することになる。このようなヨーロッパ人側の牢固とした人種差別の姿勢は,インド人の民族的意識を強く刺激し,これに対する全国的に組織された自らの継続的運動の必要が叫ばれ,S.バネルジーらを中心に1883年12月カルカッタで全インド国民協議会が招集されたが,これは85年に創立されるインド国民会議派への先駆けとなる。【内藤 雅雄】。…
…1885年12月ボンベイで開催されたインド国民会議がその起源であるが,その結成に当たり二つの潮流が存した。一つはイルバート法案闘争の中でS.バネルジーらを中心に結成された全インド国民協議会All‐India National Congressで,これはイギリス側の人種差別行政に反発するインド知識人や中間層を代弁した。他はイギリス人官吏のリベラルな部分であった。…
…このあとカルカッタにカレッジを開くなど,青年の教育につとめる。1883年に全インド国民協議会設立を推進するが,85年にボンベイで国民会議派が結成されてからはこれに参加し,以後国民会議派内の親英的穏健派の代表となる。95年と1902年に国民会議派議長。…
※「全インド国民協議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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