ガルシン(読み)がるしん(英語表記)Всеволод Михайлович Гаршин/Vsevolod Mihaylovich Garshin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガルシン」の意味・わかりやすい解説

ガルシン
がるしん
Всеволод Михайлович Гаршин/Vsevolod Mihaylovich Garshin
(1855―1888)

ロシアの小説家。2月14日、エカチェリノスラフ(現、ドニプロ)に生まれる。父は騎兵将校。早くから文学書を乱読。鉱業専門学校に在学中、1876年ロシア・トルコ戦争が起こると、一兵卒として志願、負傷し後送される。そのときの戦友の体験談を『四日間』と題し、1977年発表、初めて文名を知られる。ハリコフ(現、ハルキウ)で療養後、ペテルブルグで創作に専念、『戦場風景』(1877)、『臆病(おくびょう)者』(1879)、『アタレア・プリンケプス』(1880)、『従卒士官』(1880)などはその時期のもので、自己犠牲を要求してやまない意欲に貫かれ、理想主義的、殉教的な衝動に満ちあふれている。1980年末からは、少年期に始まった狂疾の発作が再発するようになり、ハリコフの精神科病院に収容された。名作『赤い花』(1883)はこのときの入院中の自己の体験に独自の「悪の華」をテーマに織り込んだもの。ほかに『夢語り』(1882)、『兵卒イワーノフの回想』(1883)、『熊(くま)』(1883)、『信号』(1887)の作品があり、『がま蛙(がえる)とばらの花』(1884)、『蛙の旅行家』(1887)などの童話が残っている。1988年4月、カフカスへの療養に出発の日、何を思ったのか突如4階のアパートから飛び降り、5日後に33歳の若さで死んだ。短編ばかりで作品の数も多くはないが、無垢(むく)の魂をもった「良心作家」として特異な存在であった。

中村 融]

『中村融訳『ガルシン全集』全1巻(1973・青娥書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガルシン」の意味・わかりやすい解説

ガルシン
Garshin, Vsevolod Mikhailovich

[生]1855.2.14. エカチェリノスラフ
[没]1888.4.5. ペテルブルグ
ロシアの小説家。騎兵将校を父とする小貴族の家に生れ,中学校卒業直前 (17歳) に最初の精神病の発作があり入院した。 1876年,ペテルブルグ鉱業専門学校を中退してロシア=トルコ戦争に従軍。その体験を素材として反戦的な短編『4日間』 Chetyre dnya (1877) を発表し一躍文壇に認められた。以後作家活動に入るが再三精神病の発作に襲われ,その心理的体験をもとにして代表作『赤い花』を執筆。鋭敏な感受性は社会悪と人々の不幸に耐えきれず,33歳で4階から飛降りて自殺した。ほかに『事件』 Proisshestvie (78) ,『臆病者』 Trus (79) ,『画家』 Khudozhniki (79) ,『出会い』 Vstrecha (79) ,『夜』 Noch' (80) ,『アタレア・プリンケプス』 Attalea princeps (80) ,『従卒と士官』 Denshchik i ofitser (80) ,『ナジェージダ・ニコラーエブナ』 Nadezhda Nikolaevna (85) ,『信号』 Signal (87) ,『蛙の旅行家』 Lyagushka-puteshestvennitsa (87) などの佳作がある。

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