イルバート法案(読み)イルバートほうあん(その他表記)Ilbert Bill

改訂新版 世界大百科事典 「イルバート法案」の意味・わかりやすい解説

イルバート法案 (イルバートほうあん)
Ilbert Bill

1883年インド総督リポンの時,その参事会法務委員C.P.イルバートが提出した法案刑事訴訟法改定を加え,インド人判事がヨーロッパ人刑事犯を審理できることを内容としていたが,在インドのヨーロッパ人が激しく反対し,総督は翌年原案を全く骨抜きにした形で再提出することになる。このようなヨーロッパ人側の牢固とした人種差別姿勢は,インド人の民族的意識を強く刺激し,これに対する全国的に組織された自らの継続的運動の必要が叫ばれ,S.バネルジーらを中心に1883年12月カルカッタで全インド国民協議会が招集されたが,これは85年に創立されるインド国民会議派への先駆けとなる。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イルバート法案」の解説

イルバート法案(イルバートほうあん)
Ilbert Bill

インドの総督行政参事会立法委員のC.P.イルバート(1841~1924)が,1883年に帝国立法参事会に提出した刑事訴訟法改正法案。インド人がヨーロッパ人(イギリス人を含む)を裁判することを可能にする内容を含んでいたために,ヨーロッパ人の猛反対を招いた。インド人側は逆に法案を支持し大論争となった。翌年,ヨーロッパ人が陪審員の2分の1以上を占める陪審制で,ヨーロッパ人の裁判を行うことにすることで妥協成立,改正法が可決された。インド国民会議創設影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イルバート法案」の意味・わかりやすい解説

イルバート法案
いるばーとほうあん

1883年、インド総督リポンの参事会に法務委員C・イルバートIlbertが提出した法案。インドでのヨーロッパ人の対インド人差別に一定の緩和を加えるべく、刑事犯に限り県レベルでインド人判事がヨーロッパ人を裁判できるとした。しかしヨーロッパ人側の猛烈な反対運動にあい、総督は翌年廃案とした。この事件は、人種差別の激しさを改めて知らされたインド人の民族的感情を刺激し、全国的かつ継続的組織運動の必要性を強く認識させ、1885年の国民会議派設立の糸口となった。

[内藤雅雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イルバート法案」の意味・わかりやすい解説

イルバート法案
イルバートほうあん
Ilbert Bill

1883年,インド参事会法律委員 C.イルバート (1841~1924) が提出した法案で,それまでヨーロッパ人の犯罪がヨーロッパ人裁判官によってのみ裁判されたのに対して,インド人裁判官にもその権限を与えようとしたもの。イギリス人の激しい反対のため,実質のない修正にとどまり,彼らの人種差別がインド人の大きな反感を買った。

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