日本歴史地名大系 「六ヶ新村」の解説 六ヶ新村ろつかしんむら 富山県:高岡市旧礪波郡地区六ヶ新村[現在地名]高岡市醍醐(だいご)西新又(にしあらまた)川の下流左岸の川跡に位置。北は夏住(なつずみ)村、東は横越新(よこごししん)村。貞享二年(一六八五)に下老子(しもおいご)村・壱歩弐歩(いちぶにぶ)村・矢部(やべ)村・小伊勢領(こいせりよう)村(以上現福岡町)、須田(すた)村・夏住村の六ヵ村領の野地一三〇石を新開請高して開かれた。開拓者として戸出(といで)村新右衛門ら五人、後正寺(ごうしようじ)村又蔵ら二人が知られる(篠原家文書)。元禄二年(一六八九)に一村立てが認められ、高一〇四石余・免二ツ二歩(「留書」菊池家文書)。天保一〇年(一八三九)でも高一〇五石(「高物成帳」同文書)。所属組は夏住村と同じ。野地が多く、当村五郎兵衛は鷹匠として知られた(戸出町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by