精選版 日本国語大辞典 「矢部」の意味・読み・例文・類語
やべ【矢部】
- 姓氏の一つ。
熊本中東部、上益城(かみましき)郡にあった旧町名(矢部町(まち))。現在は山都町(やまとちょう)の西部を占める。旧矢部町は1955年(昭和30)浜町と下矢部、白糸(しらいと)、御岳(みたけ)の3村が合併して町制施行。1957年中島、名連川(なれがわ)の2村を編入。2005年(平成17)清和(せいわ)村、阿蘇(あそ)郡蘇陽(そよう)町と合併し山都町となった。旧町域は阿蘇外輪山麓(ろく)の北部、西半に低山地性の御船(みふね)山地、東半に矢部盆地に属する丘陵地を占める中央部、さらに九州山地北部に属する高峻(こうしゅん)な山地の南部とからなる。この地形的差異は土地利用面にも反映し、北部はキャベツ、ダイコンを中心とした高冷地野菜と和牛放牧、中央部は茶、クリ栽培を導入した米麦作、南部は育成林業が盛んである。域内を通る国道218号から445号が分岐する一帯は、中世阿蘇大宮司の居館、近世矢部庄(しょう)の惣(そう)庄屋の居住地のあった旧浜町で、現在も多数の業務機能が集中している。また矢部四十八滝で総称される数多くの瀑布(ばくふ)のほか峡谷美に恵まれ、矢部周辺県立自然公園に指定されている。旧暦8月1日の八朔(はっさく)祭に行われる通潤橋(つうじゅんきょう)(国指定重要文化財)から轟(とどろき)川への放水は多くの観光客を集める。
[山口守人]
『『矢部町誌』(1983・矢部町)』
福岡県南東端、八女郡(やめぐん)にあった旧村名(矢部村(むら))。現在は八女市の南東部に位置する地域。1889年(明治22)村制施行。2010年(平成22)、黒木(くろぎ)町、立花(たちばな)町、星野(ほしの)村とともに八女市へ編入。大分県境をなす釈迦ヶ岳(しゃかがだけ)(1231メートル)、熊本県境をなす国見山(くにみやま)(1018メートル)など県内最高部を形成する開析溶岩台地が広く分布、釈迦ヶ岳に源を発する矢部川が中央部を北西流し、国道442号が通じる。農林業が中心で、スギの植林が発達、茶、イチゴ、シャクナゲなどを産する。矢部川県立自然公園の中心をなす日向神峡(ひゅうがみきょう)や鯛生金山精錬所跡(たいおきんざんせいれんじょあと)地があり、南北朝時代の南朝根拠地の一つで、征西将軍良成親王(よしなりしんのう)陵墓がある。
[石黒正紀]
『『郷土矢部の歴史』(1965・矢部村)』
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…惟時の死後は惟澄が大宮司となるが,惟澄の死後は北朝方の惟村と南朝方の惟武がそれぞれ大宮司を称し,惟村系は益城郡,惟武系は阿蘇郡を支配して対立した。1451年(宝徳3)惟村系の惟忠は惟武系の惟歳を養子とすることで阿蘇・益城の統一を果たし,本拠矢部は阿蘇氏政治の中心となった。この勢力を背景に惟長は菊池氏を継ぎ,惟豊は従二位となった。…
※「矢部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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