日本歴史地名大系 「内代村」の解説 内代村うちんだいむら 大阪府:大阪市都島区内代村[現在地名]都島区内代町一―二丁目、旭区高殿(たかどの)三―四丁目善源寺(ぜんげんじ)村東方、中(なか)村(現旭区)の南に位置し、東端を走る京街道沿いに集落を形成。村を南北方向に内代井路が縦断。淀川左岸の低地で小盆地状をなし、柿木(かきき)・臼樋(うすひ)・今池(いまいけ)・大野田(おおのだ)・馬作(うまさく)・東程(ひがしほど)・しく田(た)の字からなる。元禄郷帳、「摂津志」は村名に「ウチダイ」の読み仮名を付すが、「摂陽群談」は「世俗宇知牟代と称す」と記し、一般には「ウチンダイ」と読まれていた。元和元年(一六一五)から五年まで大坂藩松平忠明領、のち幕府領となり、幕末も幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by