内山田洋(読み)ウチヤマダ ヒロシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「内山田洋」の解説

内山田 洋
ウチヤマダ ヒロシ


職業
歌手 作曲家

本名
内山田 道夫(ウチヤマダ ミチオ)

グループ名
グループ名=内山田洋とクールファイブ(ウチヤマダヒロシトクールファイブ)

生年月日
昭和11年 6月6日

出生地
福岡県 柳川市宮永町

経歴
昭和32年21歳から、福岡県の白木原ベースキャンプなどで演奏していたメディコキューバンボーイズのギタリストとして音楽活動を始める。福岡や長崎キャバレー、クラブでの活動を経て、42年長崎市で内山田洋とクールファイブを結成。43年前川清がリードボーカルとして参加し、44年「長崎は今日も雨だった」でデビュー、同曲が大ヒットして日本レコード大賞新人賞を受け、NHK「紅白歌合戦」にも出場。以来「逢わずに愛して」「噂の女」「そして、神戸」「中の島ブルース」「西海ブルース」などを次々とヒットとさせ、ムード歌謡の代表的グループとして活躍、「紅白歌合戦」にも計11回出場。自作曲には「東京砂漠」「港の別れ唄」「都会の隅で」「ロンリーボーイ」などがあり、特に「東京砂漠」はダイア建設のCMソングとしても強い印象を残した。62年前川の独立に伴い、赤城直樹をボーカルとして新たな音楽活動を展開。平成4年宮本悦朗と共に若手4人をかえ、新生クールファイブを結成。6年宮内タカユキをメンバーに加え、7年「ふたたび長崎」をリリースバックコーラス小林正樹もグループに復帰した。17年には20代の女性バックダンサー6人を従え、内山田洋とクールガールズとして活動した。

受賞
日本有線大賞(第2回 新人賞)〔昭和44年〕「長崎は今日も雨だった」,日本レコード大賞(新人賞 第11回)〔昭和44年〕,日本歌謡大賞(第1回 放送音楽賞)〔昭和45年〕「愛のいたずら」,日本有線大賞(第3回・6回)〔昭和45年・48年〕「噂の女」「そして、神戸」,日本レコード大賞歌唱賞(第12回)〔昭和45年〕「噂の女」,FNS歌謡祭グランプリ(特別賞 第2回)〔昭和50年〕,日本演歌大賞(古賀政男特別賞 第1回・3回)〔昭和50年・昭和52年〕,日本演歌大賞(演歌スター賞 第2回・5回・8回・9回・10回)〔昭和51年・54年・57年・58年・59年〕,日本演歌大賞(特別功労賞 第7回)〔昭和56年〕

没年月日
平成18年 11月3日 (2006年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android