日本大百科全書(ニッポニカ) 「内海流」の意味・わかりやすい解説
内海流
うつみりゅう
近世槍術(そうじゅつ)(鍵槍(かぎやり))の一流派。流祖は内海左門重次(さもんしげつぐ)(?―1648)。左門は生国近江(おうみ)(滋賀県)、蒲生氏郷(がもううじさと)の家人古屋喜左衛門の子で、同家の中堀彦右衛門入道玄清(げんせい)から、中条流の戸田清玄(とだせいげん)(富田勢源)が案出したという九尺柄の鍵槍を学び、その技術精妙をうたわれた。初め石田三成(みつなり)に仕えたが、関ヶ原の戦い(1600)後、藤堂高虎(とうどうたかとら)に500石をもって召し抱えられ、大坂夏の陣には敵の首三つ、生捕(いけどり)2人の殊勲をあげ、500石加増、1000石、鉄炮頭(てっぽうがしら)に任じ、六郎左衛門と改め、のち紹節と号した。長男久兵衛重行が後を継いで内海流を称し、以下代々伊勢(いせ)(三重県)津藩の師範家を務めた。幕末の8代重棟(しげむね)に『集古家秘』『古伝集解』『弄槍論(ろうぞうろん)』などの著がある。なお、『武芸小伝』の槍術の部に、打身流、流祖打身佐内、富田牛生(ごせい)に学ぶとあるは、当て字に誤写が重なったものとみられる。
[渡邉一郎]
『岡本勇著・刊『岡本道可傳』(1937)』▽『島田貞一編『日本武術大系第7巻 槍術』(1982・同朋舎出版)』