中条流(読み)チュウジョウリュウ

デジタル大辞泉 「中条流」の意味・読み・例文・類語

ちゅうじょう‐りゅう〔チユウデウリウ〕【中条流】

剣術一派室町時代の兵法家中条兵庫助長秀を流祖とする。
産婦人科小児科医術の一派。豊臣秀吉家臣中条帯刀始祖とする。江戸時代には堕胎を専門とした医者中条流を名のる者が多かった。

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精選版 日本国語大辞典 「中条流」の意味・読み・例文・類語

ちゅうじょう‐りゅうチュウデウリウ【中条流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 剣術の一派。中条長秀を流祖とするもの。
    1. [初出の実例]「山崎兵左衛門者仕越前忠直卿、伝箕裘芸、悟中条流奥秘」(出典:本朝武芸小伝(1716)五)
  3. 豊臣秀吉の家臣、中条帯刀を祖とする産婦人科・小児科の医術の一流派。江戸時代、堕胎専門を業とする者が多かった。
    1. [初出の実例]「中条流の医師申は、小の虫を殺し大の虫助るに、なにのとががあるべしと」(出典:評判記・吉原徒然草(1704‐11)五)
  4. 中条流医術に用いる薬のこと。
    1. [初出の実例]「くすりをそっとたもとへ入れしは、てっきり仲条流なるべし」(出典:洒落本・一向不通替善運(1788))

中条流の補助注記

ははじめ「なかじょうりゅう」と呼んでいたが、江戸後期に至って「ちゅうじょうりゅう」と称するようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中条流」の意味・わかりやすい解説

中条流(剣術)
ちゅうじょうりゅう

(1)近世剣術諸流の三大源流の一つ、念流に連なる古流で、中条流平法(へいほう)という。『武芸小伝』をはじめ多くの武術書では、同流の始祖を応仁(おうにん)(1467~69)のころの相州鎌倉の人、中条兵庫助(ひょうごのすけ)としている。兵庫助は檀那寺(だんなでら)である地(寿)福寺の僧慈音(じおん)(念流の祖、俗名相馬四郎義元(そうましろうよしもと))に会い、彼について剣術を修行すること数年、ついにその奥旨を伝授され、これを中条家伝来の兵法に組み入れて一流をたて、中条流を称したという。そののち越前(えちぜん)(福井県)の守護斯波(しば)氏の老臣であった甲斐豊前守広景(かいぶぜんのかみひろかげ)に伝え、さらに大橋勘解由左衛門高能(かげゆざえもんたかよし)を経て、朝倉氏の臣富田九郎左衛門長家(ながいえ)に伝えたという。この流儀は小太刀(こだち)を得意とし、この門流から富田勢源(せいげん)、富田一放(いっぽう)(一放流祖)、長谷川宗喜(そうき)(長谷川流祖)、鐘捲自斎通家(かねまきじさいみちいえ)(鐘捲流、外他(とだ)流祖)、伊藤一刀斎景久(かげひさ)(一刀流祖)などの優れた剣術家を輩出し、一大源流とよばれるに至った。なお富田流系図では兵庫助を、三河国挙母(ころも)(愛知県豊田(とよた)市)の名族中条氏の出身で、室町幕府に出仕し、将軍足利義詮(あしかがよしあきら)・義満(よしみつ)に仕えて、恩賞方、造営奉行(ぶぎょう)、評定衆(ひょうじょうしゅう)などを歴任し、歌人としても知られる中条兵庫頭(ひょうごのかみ)入道長秀(ながひで)にあてている。(2)豊臣(とよとみ)秀吉に仕えた金瘡(きんそう)医、中条帯刀(たてわき)の流名。本来は戦陣における刀槍(とうそう)、鉄砲などの負傷を治療するのが主体であったが、余暇に婦人の産術を兼ね施した。江戸時代に入って泰平となり、兵用は皆無となり、堕胎手術を専門とする似非(えせ)医者の多くが中条流の看板をあげたため、川柳(せんりゅう)などの好題材にされた。「なかじょうりゅう」ともいう。

[渡邉一郎]


中条流(産科婦人科医)
なかじょうりゅう

中条は仲条とも書き、また「ちゅうじょう」とも読み、両説がある。江戸時代の産科婦人科医の一派。流祖は豊臣(とよとみ)秀吉の家臣と伝えられる中条帯刀(たてわき)と、仙台藩の侍医中条養喜との二説がある。異常妊娠などの際の胎児処理法を利用して、堕胎を行う者があり、また堕胎医が中条流を偽称した場合もあり、川柳(せんりゅう)の題材に扱われるなど、堕胎専門医の通称として有名であった。

[原島陽一]

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百科事典マイペディア 「中条流」の意味・わかりやすい解説

中条流【ちゅうじょうりゅう】

(1)剣術流派の一つ。応仁のころ中条兵庫之助長秀が鎌倉地福寺の僧慈恩(慈音とも)に刀槍の術を学び,奥義をきわめて創始したという。のち富田流と,伊藤一刀斎景久の一刀流の2大流派を生じた。→剣道(2)豊臣秀吉の家臣,中条帯刀(たてわき)を祖とする産婦人科の一流派。帯刀の伝記は明らかでないが,《延寿和方彙函》に〈兵を用ふるの暇医術を好み,婦人科最奇なり〉とある。江戸時代に入り堕胎手術を業とする者を中条と呼ぶようになった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中条流」の意味・わかりやすい解説

中条流
ちゅうじょうりゅう

豊臣秀吉の家臣中条帯刀を祖とする産婦人科の一派。薬物による治療をもっぱらとし,特に挿入薬をよく用いた。江戸時代に入ってからは,堕胎を専門とするものが現れ,そのために中条流とは堕胎技術の別称となった。

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デジタル大辞泉プラス 「中条流」の解説

中条流

剣術の流派のひとつ。室町時代に、中条兵庫頭長秀(ちゅうじょうひょうごのかみながひで)が創始。冨田流の源流。

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世界大百科事典(旧版)内の中条流の言及

【医学】より

…それに,異常分娩に対する工夫も,胎児よりはむしろ母体を助ける方法であった。いわゆる中条流として,江戸時代に流産や堕胎を専門におこなう業者があり,かなり需要も多かったというが,また失敗も少なくなかったと思われる。 このような業者以外に,江戸時代には,江戸,京都,大坂をはじめ,全国各地に商業都市が勃興し,人口を集め,医療需要も高まったことから,開業医数も増加した。…

【堕胎】より

…しかし一方では出産の困難,異常妊娠,母体保護等から中絶を必要とする場合のため,近世以後医師の手で手術が行われることとなり,その方法も危険を伴うことが減じた。ことに京都で15世紀末ころから発達した産科中条流の名はひろく各地に知られ,都市を中心に流行した。いうまでもなく非合法の場合も多かったので,川柳などによまれて諷刺の対象ともなっている。…

【喜多七大夫】より

…86年(貞享3年)2月,ゆえあって養子十大夫とともに改易となったが,翌年許され,十大夫長寛は喜多家を相続して4世七大夫を名乗り,宗能は中条嘉兵衛直景と改名,後には従五位下河内守,また丹波守を名乗り,1715年(正徳5)隠居して祐山と称した。許された後も能役者としての活動は続き,中条流を称した。隠居後は諸大名に謡本を相伝し,将軍御前で謡を披露するなど活躍した。…

※「中条流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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