日本歴史地名大系 「内表村」の解説 内表村うちおもてむら 山形県:山形市旧東村山郡地区内表村[現在地名]山形市内表・内表西(うちおもてにし)・南田(みなみだ)・銅谷口(どうやぐち)・東篭野町(ひがしかごのまち)・内表東(うちおもてひがし)中野(なかの)村の南、陣場(じんば)村の北に位置し、馬見(まみ)ヶ崎(さき)川と須(す)川に挟まれた平野部に立地。六十里越街道の街村で安政四年(一八五七)銘の休石が残る。最上氏改易後は山形藩領、寛文八年(一六六八)幕府領、天保一三年(一八四二)再び山形藩領となる。寛永元年(一六二四)の陣場村定納目録(斎藤文書)には「内面村」とみえ、陣場村内に四町三反余の出作地があった。同一三年の保科氏領知目録に内表村とみえ、高一千一八四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by