刈水道
あしかりすいどう
正しくは、西芦刈水道と東芦刈水道に分れる。
西芦刈水道は佐賀郡大和町大字川上の川上川の市の井樋より分水し、大和町・小城郡三日月町を南西に横断して牛津町の乙女井樋に至り、これより南下して芦刈町の浜枝川地域の水田一千町歩の用水となる。この開削者として、成富兵庫茂安説と安住勘助道世説の二つがある。前者は「疏導要書」によるもので、後者は「鍋島直能公御年譜・附録」「葉隠」による。成富説によれば一七世紀前半となり、安住説によれば一七世紀後半となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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