日本歴史地名大系 「小城郡」の解説 小城郡おぎぐん 面積:九五・〇八平方キロ小城町(おぎまち)・三日月町(みかつきちよう)・牛津町(うしづちよう)・芦刈町(あしかりちよう)県の中央に位置し、東は佐賀郡大和(やまと)町・佐賀市・佐賀郡久保田町、北は佐賀郡富士町、西北は多久(たく)市、西南は杵島(きしま)郡江北町・福富(ふくどみ)町に各々境し、南は有明海に臨む。天(てん)山(一〇四六メートル)が郡の西北にそびえ、余脈が東に延びて彦(ひこ)岳(八四五メートル)となる。天山・彦岳の南部一帯に平野が広がる。川上(かわかみ)川は源を佐賀郡富士町の南(なん)山・北(ほく)山の諸山に発して佐賀郡大和町に至り、本郡の東方を南流して嘉瀬(かせ)川となり有明海に注ぐ。祇園(ぎおん)・晴気(はるけ)の二河川は天山の南麓より発して南に流れ、祇園川は小城町・三日月町を経て嘉瀬川に入り、晴気川は小城町を貫流して牛津川(多久川)に合流する。牛津川は源を八幡(はちまん)・徳連(とくれん)の二岳に発して、多久市の中央を貫き、天山より来る今出(いまで)川・晴気川を入れ、牛津町・芦刈町を南流、六角(ろつかく)川と合流して有明海に注ぐ。「肥前風土記」の小城郡に次のようにある。<資料は省略されています>小城の地名伝説として、堡(おき)すなわち砦が小城となったとしている。郷七ヵ所の詳細は不明であるが、「和名抄」には小城郡に「川上」「甕調(みかつき)」「高来(たく)」「伴部(とも)」とあり、七郷のうちの四郷と考えられている。他の三郷は不明である。川上は現佐賀郡大和町の川上、甕調は現三日月町、高来は現多久市、伴部は現牛津町と比定されている。官道の駅家(駅壱所)の存在した場所は不明であるが、「延喜式」の「高来駅」かと思われる(多久市の→高来駅)。烽は現多久市の両子(ふたご)山・鏡(かがみ)山・鬼(おに)ノ鼻(はな)山などのうちいずれかと考えられている。〔原始・古代〕先土器時代の遺物として三日月町の織島(おりしま)の山麓で多量のサヌカイト製石器および破片が出土している。縄文時代の遺跡としては三日月町の竜王(りゆうおう)遺跡があり、層位的に明確な遺跡である。弥生時代の遺跡は多数存在するが、顕著なものとして三日月町の土生(はぶ)遺跡があり、水稲農耕の住居跡である。古墳時代の遺跡は、山麓部に存在する円墳を中心とした古墳群である。東から三日月町の姫塚(ひめづか)・円山(まるやま)古墳・吉田(よしだ)古墳、小城町の宮戸(みやど)古墳・一本松(いつぽんまつ)古墳群・姫御前(ひめごぜん)古墳・丹坂峠(にさかとうげ)古墳、牛津町上砥川の赤佐古(かみとがわのあかさこ)古墳などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by