前田隣(読み)マエダ リン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「前田隣」の解説

前田 隣
マエダ リン


職業
コメディアン

本名
中沢 永一郎(ナカザワ エイイチロウ)

グループ名
グループ名=ナンセンストリオ

生年月日
昭和11年 4月12日

出身地
東京都 品川区

経歴
昭和の喜劇王エノケンこと榎本健一の弟子で、東洋劇場の東八郎の劇団の座員として浅草デビュー。昭和30年東京池袋アバン座を振り出しに、名古屋、大阪の劇場で修行を積み、コロムビアトップ・ライトの門下として、漫才“青空あれや・これや”で活躍。39年江口章、岸野猛、青空球児の3人によるナンセンストリオから球児が脱退すると加入し、忍者姿での“親亀の背中に子亀をのせて〜”“赤あげて!白あげて!”などのギャグで、てんぷくトリオ、トリオ・スカイラインらとトリオブームを牽引した。解散後はピン芸人になり、漫談、司会、講演、舞台客演や、テレビ・ラジオで活躍。毒舌漫談で人気を博した。浅草東洋館、お江戸広小路亭にレギュラー出演した他、年3回の自主ライブ、ライブシリーズ「東京お笑いルネッサンス」などに出演。また、各地の寄席の企画、出演も手がけ、“コント隣組”“前田隣&真木淳”などコントの企画、演出も行った。平成11年肝臓がんが見つかった後も抗がん剤治療を受けながら舞台に立ったが、20年脳梗塞で倒れ、21年に亡くなった。

没年月日
平成21年 2月19日 (2009年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android