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寄席 よせ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寄席
よせ

落語,講談,音曲などを上演する演芸場。「よせせき」の略称で単に席ともいい,「ひとよせせき」「よせば」などども呼ばれた。現在,東京の寄席では落語が主で,講談,漫才,曲芸などを色物 (いろもの) といい,関西では漫才が主で,落語ほかを色物といっているが,いずれにしろ現在の寄席はこれら色物をとりまぜて成り立っている。

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デジタル大辞泉の解説

よせ【寄席】

《「人寄せ席」の略》落語講談漫才浪曲奇術音曲などの大衆芸能を興行する演芸場。常設のものは寛政年間(1789~1801)に始まる。席(せき)。席亭。よせせき。よせば。

よせ‐せき【寄(せ)席】

よせ(寄席)」に同じ。

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百科事典マイペディアの解説

寄席【よせ】

落語漫才講談浪曲,音曲,雑芸などを興行する大衆的な演芸場。本来は〈寄せ場〉の略語で,〈人を寄せる〉という意味。町辻などで演ぜられていた講談,落語の定席として江戸前期にでき始め,町人文化の発達とともに盛んになった。
→関連項目写絵桂文治紙芝居曲芸玉置宏八人芸腹話術柳家金語楼

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とっさの日本語便利帳の解説

寄席

落語、講談、浪曲、義太夫など大衆芸能を演じる劇場。約二〇〇年前、江戸に始まった。年間通して定期的に興行するものを定席(じょうせき)、経営主を席亭(せきてい)という。これに対して会館やホールで開く会をホール落語と呼ぶ。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
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世界大百科事典 第2版の解説

よせ【寄席】

〈よせ〉というのは,もとは〈寄せ場〉の略語であり,〈人を寄せる〉という意味である。大勢の人を寄せて,さまざまな演芸を興行するところで,〈寄席〉の字を当てているが,単に〈席(せき)〉と呼ぶこともある。
[江戸の寄席]
 寄席は,江戸時代の初めごろに,寺社の境内などで葭簀(よしず)張りの辻咄(つじばなし)や講釈を行ったものがあり,天和・貞享(1681‐88)のころには,江戸落語の祖といわれる鹿野(しかの)武左衛門(1649‐99)が,江戸の中橋広小路で葭簀張りの小屋掛けで興行をしているし,また安永・天明(1772‐89)のころから噺家(はなしか)の自宅や寺院,茶屋の座敷などで〈咄(はなし)の会〉を興行するものもあったが,現在の寄席のような形ができたのは,1798年(寛政10)6月に大坂から江戸に来た岡本万作が,神田豊島町藁店(わらだな)に〈頓作軽口噺(とんさくかるくちばなし)〉という看板を掲げ常設の寄席を作ったのが最初である。

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大辞林 第三版の解説

よせ【寄席】

〔「よせせき」 「よせば」の略〕
落語・講談・浪曲・義太夫・手品・音曲などの大衆芸能を興行する娯楽場。江戸に常設の席ができたのは延享4年(1747)で、子供踊り、物真似が中心であった。よせせき。人寄席ひとよせせき

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寄席
よせ

落語などを上演する小規模な常設演芸場。「よせ」とは「寄せ場」の略語であり、「人を寄せる場所」という意味である。江戸後期の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には「人をよする故なり」と記されている。要するに大ぜいの人々を寄せ集めて、落語、講談、浪花節(なにわぶし)(浪曲)、漫才(まんざい)、奇術などさまざまな大衆芸能を興行する場所であり、「寄席」の字をあてているが、単に「席(せき)」とよぶこともある。[関山和夫]

江戸時代の寄席

すでに江戸時代の初めのころから寺社の境内などで辻咄(つじばなし)や講釈が行われており、天和(てんな)・貞享(じょうきょう)(1681~88)のころには、江戸落語の祖といわれる鹿野武左衛門(しかのぶざえもん)が、江戸の中橋広小路でよしず張りの小屋掛けで興行をしているし、安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~89)のころから、噺家(はなしか)の自宅、寺院や茶屋の座敷などで「咄(はなし)の会」を興行するものもあった。しかし、現在の寄席のような形態を整えたのは、大坂から江戸にきた噺家の岡本万作が、1798年(寛政10)6月に神田(かんだ)豊島(としま)町藁店(わらだな)に「頓作軽口噺(とんさくかるくちばなし)」という看板を掲げて常設の寄席をつくったのが最初である。これに対抗した初代三笑亭可楽(からく)が下谷(したや)柳町の稲荷(いなり)神社境内に寄席を開いたこともあり、のちに可楽は本格的な寄席興行の基をつくり、多数の寄席芸人を育成した。
 寄席がもっとも盛んになったのは、文化・文政(ぶんかぶんせい)年間で、1815年(文化12)に江戸市中に寄席は75軒、文政年間(1818~30)には125軒を数えた。1834年(天保5)に出た寺門静軒(てらかどせいけん)の『江戸繁昌記(はんじょうき)』によれば、天保(てんぽう)のころには、7日替わりの常打ちに近い寄席の形態が整えられていたことがわかる。寄席には昼席と夜席があり、出演者名と日を記した行灯(あんどん)をかけ、下足番が呼び込みをした。噺家が扇子と手拭(てぬぐい)で落語を演ずる形式も前座制も天保初期には完成されていた。寄席の経営者は「席亭(せきてい)」とよばれた。江戸の寄席は、天保の改革で1842年以降わずか15軒に減り、その名目は神道(しんとう)講釈、心学、軍書講談、昔咄の4種で営業を許されたが、その後、ふたたび盛んになり、安政(あんせい)年間(1854~60)には「はなしの席」が172軒となった。『大江戸都会荒増(あらまし)勘定』には「軍談の席二百二十軒、はなしの席百七十二軒」とあり、この約400軒の寄席に1日平均それぞれ100人の入場者があり、1日の売上金は合計300両を超えたという。
 寄席は、明治に入っても衰えをみせず、1884年(明治17)刊『東京案内』には87軒の寄席が記されている。1912年(大正1)ごろでも、名のあるものだけで43、4軒はあった。しかし、大正中期になると活動写真(映画)が登場したため、寄席は急激に衰退し、昭和に入ってますます減少してしまった。第二次世界大戦後、東京の寄席は数軒復活したが、往年の隆盛を取り戻すことはできなかった。それでも1か月を10日ずつにくぎって上席(かみせき)・中席(なかせき)・下席(しもせき)とよぶ興行方式はいまも続いている。[関山和夫]

大坂の寄席

大坂の寄席は江戸よりも早く発達し、初代米沢(よねざわ)彦八は元禄(げんろく)(1688~1704)のころ生玉(いくたま)社境内でよしず張りの興行を行ったようであり、松田弥助(やすけ)、初代桂(かつら)文治が寛政(かんせい)(1789~1801)から文化・文政期(1804~30)にかけて寄席興行の基礎を固めた。天保・弘化(こうか)(1830~48)のころに桂、林家(はやしや)、笑福亭(しょうふくてい)、立川(たてかわ)のいわゆる上方(かみがた)四派の噺家たちの活躍によって大坂の落語は発展し、嘉永(かえい)・安政(1848~60)のころに大坂の落語や寄席の形態が完成し、寄席はすこぶる隆盛であった。
 明治に入ってからも大阪の寄席は栄えた。落語中心の寄席は桂派が牛耳(ぎゅうじ)っていたが、1893年(明治26)に浪花(なにわ)三友派がおこって2派に分かれた。1910年(明治43)には興行師の手によって反対派もできて寄席興行は混乱した。近代の大阪では、法善寺、千日前、松島、道頓堀、新町、座摩(ざま)、御霊(ごりょう)、北之新地、上本町(うえほんまち)、日本(にっぽん)橋、天満(てんま)天神、内本町、梅田などで寄席が繁盛し、千日前の播重(はりじゅう)席のような女義太夫(ぎだゆう)専門の席が栄えたこともあったが、大正末から昭和にかけてしだいに衰退していった。大阪には吉本せい(1890―1950)という傑出した興行師が出現したため、大正から昭和にかけて東京とは異質の寄席興行の形態がとられて今日に及んでいる。そのほか、京都、神戸、名古屋にも古くからの寄席興行の歴史があり、江戸時代から多数の寄席芸人が出演して隆盛だった記録を残している。[関山和夫]

寄席演芸の種類

寄席演芸に関する種々の記録のなかでもっとも注目されるのは、尾張(おわり)藩士の小寺玉晁(こでらぎょくちょう)(1800―78)が書き残した『見世物雑志』である。この書は、1818年(文政1)から42年(天保13)までの名古屋における寄席興行を記録した貴重な研究資料である。このなかには、軽口噺、釣人形、軽業(かるわざ)、咄、見世物、物真似(ものまね)、講釈、籠細工(かございく)、浄瑠璃(じょうるり)、鳥の鳴き声物真似、長崎蛇(じゃ)踊り、小芝居、竹田からくり、説経(せっきょう)、落し噺、独楽(こま)回し、力持ち、住吉踊り、操り、影絵、ちょんがれ、曲文字書き、新内など、江戸時代における寄席演芸のすべてが網羅されている。式亭三馬(しきていさんば)の『落話会刷画帖(おとしばなしかいすりえちょう)』(『落話中興来由』)にも浄瑠璃、小唄(こうた)、軍書読み、手妻(てづま)、八人芸、説経、祭文(さいもん)、物真似尽くしなどが記されている。これによって、落語以外のいわゆる「色物(いろもの)」が文化・文政期から寄席演芸として幅広く活動して民衆の人気を得ていたことがよくわかる。写し絵、百眼(ひゃくまなこ)、音曲、顔似せなども人気があったが、時代の変遷とともにこれらはしだいに姿を消し、また変容していった。
 色物は、明治以後も進展して現代に及んでいるが、大阪では興行会社が設立されてから漫才が脚光を浴びて寄席の主流を占めた。したがって大正から昭和にかけて寄席の形態が著しく変化し、落語、漫才、音曲、声色(こわいろ)(声帯(せいたい)模写)、百面相(ひゃくめんそう)、手品、曲芸、独楽、紙切り、腹話術、漫談などを混交して興行する席を「色物席」とよぶようになり、そのほか、操り人形の専門席、貝祭文(かいさいもん)席、講談席、義太夫席、浪花節席、八人芸席などが出現したこともあった。また、昼は講談、夜は色物という2部制興行をしたこともあった。現在は大阪でも、落語が話芸としての価値を認められて、色物と区別して再認識されるようになってきた。これは現代の噺家たちの努力によるものだが、歴史的にみて当然の帰結といわねばならない。[関山和夫]

現況

寄席が著しく変貌(へんぼう)したのは第二次世界大戦後のことである。とくにテレビの出現は寄席演芸のあり方を変えた。マス・メディアの発達は、別の意味での寄席演芸に対する一般の関心を高めたが、芸人はテレビタレントとして活躍するようになり、ホール寄席や特殊な落語会が全国で盛んになって、旧来の常打ちの寄席興行は衰退したままである。東京では定席(じょうせき)として上野鈴本(すずもと)演芸場、新宿末広亭(すえひろてい)、浅草演芸ホール、池袋演芸場に、1979年11月から国立劇場演芸場が加わった。上野本牧亭(ほんもくてい)は日本で唯一の講談の定席であったが、90年(平成2)惜しまれながら閉館した。関西では大阪に「なんばグランド花月(NGK)」「ワッハ上方」があるが、これらは、いまでは劇場の観念が強く、江戸時代からの伝統的な寄席とは少々イメージを異にする。名古屋には大須(おおす)演芸場がある。[関山和夫]
『芸能史研究会編『日本の古典芸能9 寄席』(1971・平凡社) ▽三遊亭円生著『寄席切絵図』(1977・青蛙房) ▽南博・永井啓夫・小沢昭一編『芸双書1 いろどる――色物の世界』(1981・白水社) ▽諸芸懇話会・大阪芸能懇話会編『古今東西 落語家事典』(1989・平凡社) ▽山本進編『落語ハンドブック』改訂版(2001・三省堂)』

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世界大百科事典内の寄席の言及

【演芸】より

…公衆の面前で芸人によって演じられる諸芸の総称で,芸能とほとんど同じ意味で使用されてきた。演芸という言葉が一般化した明治から大正にかけては,歌舞伎を中心とする演劇および下座音楽を使った寄席(よせ)でおこなわれた演芸に対して用いられていたが,今日では演劇以外の雑芸を指す言葉として使われるのが普通で,〈演劇〉と区別されている。歴史的にみると,興行取締りの面でも両者は区別され,1921年の警視庁の〈興行場及興行取締規則執行心得〉は,演劇を見せる劇場に対して,〈演芸場とは主として講談,落語,浄瑠璃,唄,音曲等を公衆の聴聞に供する常設の場所〉とし,さらに軽業,曲芸,奇術等の技芸を上演する観物場をあげている。…

【定席】より

…常設の寄席(よせ)の意。貸席(かしせき)や現代のいわゆる〈ホール落語〉の貸ホールなどとは区別される。…

【見世物】より

…多くの所作事と人気狂言が,猿芝居曲馬また種々の細工物などのかたちで〈見世物化〉されているし,江戸末期に子供曲持の鉄割熊蔵(弥吉)一座が演じた〈葛の葉障子の曲〉(歌舞伎の《葛の葉》子別れの場の曲芸化)のように,サーカスの〈ゲソ(足芸)〉に受け継がれて,今日でも木下サーカスの十八番として演じられているような例もある。 また今日,見世物芸の伝承を色濃くみてとることができるもう一つのものは,寄席のいわゆる〈色物〉であろう。皿廻しなどのいわゆる〈太神楽曲芸〉,曲独楽,声帯模写,百面相などは,実質的にはまったく同じものを,江戸期の見世物にみることができるし,寄席の歴史を明治から江戸へとさかのぼるならば(寄席),むしろ寄席芸は,見世物=寄席芸=大道芸といった相互連鎖の可逆的流動のなかで,とらえるべきだと思われる。…

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