無声映画の時代には,映画の音声をみずから演ずる活動弁士,略して活弁という職業が生まれた。活動弁士の中で,映画の場面を見ながら当意即妙のせりふを投げ込んで笑わせる何人かが,その人気を背景に,映画から独立して,口頭の滑稽話をするようになったのが漫談である。この一人話芸の形式は,弁士出身の徳川夢声によって創始され,名付親は,同じく弁士の大辻司郎(1896-1952)である。彼の,〈……デアルデス〉と繰り返す語り口が昭和初期の軍国主義一色に染まる前の不安定な大衆心理に迎えられ,寄席に出演するだけでなく,レコードにも吹き込まれ,口まねをする子どもも多かった。トーキー出現により,弁士が不要となってからは,多くの元弁士が,この漫談に活路を求め,漫談家としてだけでなく,役者や司会者としても活躍した。漫談という話芸は,個性をよりどころとするために,伝統芸能として継承されることはなかったが,楽器の使用,扮装,声帯模写等のバリエーションを加えつつ,その基調にあるのは,風刺とナンセンスの精神である。
執筆者:鶴見 俊輔
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寄席(よせ)演芸の一種。滑稽(こっけい)な語りを主とする一人芸で、筋(すじ)や落ち(サゲ)にこだわらない点が落語と異なる。1926年(大正15)に活動写真の弁士(映画説明者)たちの隠し芸大会「ナヤマシ会」の第1回公演で山野一郎と徳川夢声(むせい)が演じたのが最初で、大辻司郎(おおつじしろう)が漫画からの発想により漫談と名づけたとされている。のちトーキーの出現で失職した彼らは本格的に漫談を演じるようになり、やがて漫談という用語が一般化するにつれ、それ以外にも漫談を専業とする者が増え、寄席や放送の演芸番組の重要な一画を占めるに至った。なかにはウクレレや三味線のような楽器を手に、歌を交えて演ずるものや、さらにその変形として3人から5、6人で掛合(かけあい)をする形式のものもある。「ウクレレ漫談」「歌謡漫談」などと称され、ことに複数で演ずる場合は「ボーイズもの」とよばれることが多い。
[向井爽也]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…明治にも両船亭船遊,結城孫三郎,玉川文楽らがこれを演じたがしだいに消えた。 大正末期に無声映画の説明者(活動弁士,略して活弁)が,トーキーの発達によって職がなくなり,活路を見いだすために始めたものに漫談があった。1924年に活動弁士が主宰していた〈なやまし会〉で,大辻司郎が演じたのが最初といわれる。…
…映画説明者・著述業・漫談家。本名福原駿雄。…
※「漫談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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