20世紀日本人名事典 「力道山光浩」の解説
力道山 光浩
リキドウザン ミツヒロ
昭和期のプロレスラー
- 生年
- 大正13(1924)年11月14日
- 没年
- 昭和38(1963)年12月15日
- 出生地
- 旧朝鮮・新浦(現・北朝鮮)
- 出身地
- 長崎県大村市
- 本名
- 百田 光浩(モモタ ミツヒロ)
- 旧姓(旧名)
- 金 信洛(キム シンラク)
- 経歴
- 13歳の時玉の海梅吉に見出され、昭和14年二所ノ関部屋に入門。15年初土俵。21年11月場所で入幕、24年関脇に昇進したが、日本国籍がなかったため、25年廃業し、改名。26年プロレスに転向し、27年米国武者修業の途につき、北米大陸を転戦、300回のうち敗北は5回という輝かしい戦果をあげた。28年日本プロレス協会を設立。29年デビュー。世界タッグ・チャンピオンのシャープ兄弟と全国を巡業、“空手チョップ”で少年ファンの人気を集めプロレス・ブームを起こす。またジャイアント馬場など多くの後進を養成し、日本プロレス界の発展に貢献したが、38年暴力団員に刺されて死去。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報