北多田村(読み)きたただむら

日本歴史地名大系 「北多田村」の解説

北多田村
きたただむら

[現在地名]大洲市北只きたただ

ひじ川が大洲市の中心部に入る直前、南から合流する嵩富かさとみ川の東西両岸に開けた水田の多い村。宝積寺大般若経奥書に「時天授三年丁巳林鐘上旬、与州喜多郡喜田々村興善庵於通光書写之」とある。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多きた郡の項に「北多田村 水損所、芝山有、川有」とある。大洲藩領。「寛政元年御巡見御案内ニ付手鑑」(一七八九)には、喜多只きたただ村、家数六九、人数二四〇、物成米一五七石五斗、物成豆二四石一斗、免五ツ四分三厘とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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