北奥田村(読み)きたおくだむら

日本歴史地名大系 「北奥田村」の解説

北奥田村
きたおくだむら

[現在地名]美浜町奥田おくだ

上野間かみのま村の南に続き、西浦にしうら街道に沿って伊勢湾に面し、東部には知多丘陵、西は小丘陵がそれぞれ南走する(天保村絵図)

「寛文覚書」によれば、概高一千二五五石余、田地五五町三反五畝・畑地一三町七反七畝余、新田高二七石余、戸数一三〇、人口八〇〇。将軍上洛・朝鮮使節通行の時人馬を出すとある。「徇行記」によれば、民家は西浦街道沿いに並び、ませじま里島さとしま新田屋敷しんでんやしきと三集落をなし、「小百姓ハカリ也、漸々貧民多クナルニ随ヒ村借金増長スト也、一体高ニ准シテハ佃力不足ナルニ黒鍬カセキニ出ル者百人ホトアリ、実ニ農業ノ妨ケニナレリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む