日本歴史地名大系 「奥田城跡」の解説 奥田城跡おくだじようあと 愛知県:知多郡美浜町北奥田村奥田城跡[現在地名]美浜町奥田 宇谷天保村絵図によると、北奥田村の集落の東の城(しろ)山にあって、「尾張志」に水野日向守の居城とあり、刈谷城主水野信元の末弟和泉守忠重が緒川(おがわ)城に住み、その子六左衛門勝成がここに築城し、勝成はのちに日向守に任ぜられた(水野氏系図)。 奥田城跡おくだじようあと 愛知県:稲沢市奥田村奥田城跡[現在地名]稲沢市奥田〈中切町・馬場町・堀畑町〉町のほぼ中央、名古屋鉄道本線の西にあたると推定される。飯尾定宗の居城(府志)。定宗は織田敏定の孫(織田系図では次男)で飯尾氏の養子となり飯尾氏を称して城主になったが、永禄三年(一五六〇)桶狭間(おけはざま)の戦の時、鷲津(わしづ)城(現名古屋市)で戦死。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報