西浦(読み)にしうら

日本歴史地名大系 「西浦」の解説

西浦
にしうら

敦賀湾西岸に面する敦賀半島の漁村を総称して西浦とよぶ。「越前国名蹟考」は、野坂のざか西さい郷と称するが、荘郷の遺制の確証はない。天正一八年(一五九〇)四月二九日付宗策・佐久間政長・蜂屋隆長連署状(秦家文書)に「西浦百姓中」とみえる。江戸時代にはふた村・名子なご浦・縄間のうま浦・常宮じようぐう浦・沓浦くつのうら手浦たのうら色浜いろがはま浦・浦底うらそこ浦・立石たていし浦・白木しらき浦の一〇浦を数え、うち縄間・沓・手の三浦は中世、気比けひ社領であった(建暦二年九月日付「越前気比宮政所作田所当米等注進状」越前気比宮社伝旧記)。敦賀津から半島北端の立石浦まで海上五里、さらに西隣の白木浦まで二里とされ、交通は近年まで舟便しかなく、立石―白木間は今日も車道は不通である。西浦中央部の常宮湾は江戸時代には浮囲ができる港で、気比神宮の奥宮といわれた式内社の常宮神社も鎮座する。

西浦一〇ヵ浦は寛永元年(一六二四)まで福井藩領、以後廃藩置県まで小浜藩領。一〇ヵ浦は全体として浦方(本浦)であるが、「此内八ケ浦ハ少々田畠御座候、立石・白木二ケ浦ニハ田畠少も無御座候、右何れも猟かせぎを第一に仕、大勢之者共渡(世)仕候」(元禄四年一二月の「敦賀町ニて魚勝手売ニ付西浦庄屋百姓願書案」沓山本家文書)と記される。


西浦
にしのうら

[現在地名]西区西浦

西浦村内に設定された玄界灘に面した浦分。集落は本村の北側、南北に延びる砂丘帯上にある(続風土記拾遺)。対馬国宗氏の一族を舟で筑前に運んだ漁人左近四郎が西浦に居住し、漁人となったのが西浦の集落の始まりという(続風土記)。慶長一〇年(一六〇五)八月二五日の黒田長政掟書(新訂黒田家譜)に西浦がみえ、近世初期から浦として把握されていた。網代境は東は岬(西浦崎)唐泊からとまり浦との境、西は野北のぎた(現志摩町)との境であった(続風土記拾遺)。北西海上の小呂おろ島も西浦に属した。正保元年(一六四四)、福岡藩は西浦から小呂島への移住者を出すよう指示。しかし希望者はなく、同二年五月に庄屋の一族五軒が小呂島へ移住した(「口上之覚」柴田家文書)


西浦
にしうら

伊豆半島の北西部、駿河湾東奥の海岸部をいう。中世の史料には「西浦五ケ村」「西浦七ケ所」などとみえる。天正一八年(一五九〇)四月豊臣秀吉は「西浦庄内」の「三津郷 長浜郷 おもす郷 木(負)郷 くすら(久連)郷 しけてら郷 ひら沢郷 以上七ケ所」に宛てて掟書(長浜大川文書)を下し、百姓たちの還住を促しており、西浦七ヵ所とは近世の三津みと長浜ながはま重須おもす木負きしよう久連くづら重寺しげでら平沢ひらさわの諸村にあたっていた。ほかに近世の河内こうち村も西浦のうちであった。なお伊豆半島の東海岸を総称して一般に東浦というのと同様に、西浦を西海岸の総称として用いることもある。

天文一三年(一五四四)二月二二日、北条氏は「西浦」の長浜百姓中に対して火事を理由に番肴の納入を一時免除している(「北条家朱印状」木負大川文書)。同一七年五月一日北条氏は「西浦七ケ所」の船役銭を三六艘分の七貫一〇〇文に定め、それを超える分については免除している(「北条家朱印状」長浜大川文書)


西浦
かさいうら

近世の江戸川と中川の河口付近、およびその南の海域をいう。海に面する東葛西領下之割しものわり南部の村々は、江戸時代に漁業を兼業する者が多かった。近世中期には下今井しもいまい村・長島ながしま村・桑川くわがわ村・東宇喜田ひがしうきた村・西宇喜田村・船堀ふなぼり村・二之江にのえ村の七村が「海辺浦附組合」とされている(江戸川区史)二之江村で慶長期(一五九六―一六一五)から漁が行われていたことが知られる(旧幕府漁政取調書)。初期はほとんどが地引網漁であったが、次第に漁法も漁場も増え、江戸川河口では白魚漁も行われた。下今井・長島・二之江の三ヵ村は御肴献上御用を勤めた(同書)

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改訂新版 世界大百科事典 「西浦」の意味・わかりやすい解説

西浦[温泉] (にしうら)

愛知県南部,蒲郡市にある温泉三河湾に突き出た西浦半島先端に1954年に開発された温泉で,その後急速に発展し,海岸に面した丘陵斜面に温泉街が形成された。泉質は単純緑バン泉,泉温22℃。かつては温泉街北西の西浦乗船センターから鳥羽,伊良湖蒲郡や西約2kmの海上の沖島(猿ヶ島),前島(兎(うさぎ)島)へ観光船が発着し,三河湾周遊の観光基地となっていた。名鉄蒲郡線西浦駅からバスの便がある。
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百科事典マイペディア 「西浦」の意味・わかりやすい解説

西浦[温泉]【にしうら】

愛知県蒲郡(がまごおり)市西部の温泉。単純緑バン泉。22℃。1953年三河湾に突出する小半島にわき出し,急速に発展。三河湾国定公園に属し,付近に形原温泉,形原海水浴場,三ヶ根山がある。蒲郡市街からバス。
→関連項目蒲郡[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西浦」の意味・わかりやすい解説

西浦
にしうら

愛知県南部,蒲郡市の西端にある集落。旧町名。 1963年合併。半農半漁村であったが,54年に西浦半島の先に西浦温泉が開発されて,形原,三谷とともに蒲郡温泉郷を形成。三河湾の展望がよく,小熱海として関西地方に知られている。西浦港からは蒲郡,兎島,猿ヶ島,伊良湖岬篠島へ連絡船が通じて,三河湾国定公園の観光拠点。

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世界大百科事典(旧版)内の西浦の言及

【淡路島】より

…三原平野には古墳が多く,国府,国分寺のおかれた律令時代は淡路の政治・文化の中心であった。気候的には全体として温暖少雨の瀬戸内式気候区に含まれ,黒潮の支流に洗われる南海岸や大阪湾に面する東浦地域は冬も暖かいが,播磨灘に面する西浦地域は北西季節風をまともに受けるために冬季の農業や漁業は大いに制約される。また不足がちの灌漑用水を補うための溜池が多く,1934年には島全体で2万3600余の溜池があった。…

【霞ヶ浦】より

…茨城県南東部,利根川下流域に位置する海跡湖。広義には北浦を含めた呼称で,北浦に対して西浦とも称する。面積167.6km2は琵琶湖につぎ日本第2位。…

※「西浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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