北府町(読み)きたごまち

日本歴史地名大系 「北府町」の解説

北府町
きたごまち

[現在地名]武生市国府こくふ一―二丁目・本多ほんだ二丁目・かつら

北陸街道沿いの町で、府中町の北部に位置する。北国府の意。寛永二年(一六二五)の浅井永記録に北府とみえ、家数一二五(南条郡誌)、安永三年(一七七四)の前田家文書では一七九軒(武生市史)。当町の南、常盤ときわ町に接する通りを立石たていし町といい、西に折れて毘沙門びしやもん町へ突抜ける横町突貫つきぬき町とよぶ。北陸街道は下口で屈折して北に延び、その町端東側に光善こうぜん寺がある。

真宗仏光寺派光善寺はもと善照ぜんしよう寺と号し、足羽あすわ郡一乗谷(現福井市)付近にあった。朝倉氏滅亡後当地に移り、横越よこごし(現鯖江市)証誠しようじよう寺末となったが、慶安五年(一六五二)頃京都仏光寺末となり、承応三年(一六五四)現寺号を許された(光善寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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