北野貝戸村(読み)きたのがいとむら

日本歴史地名大系 「北野貝戸村」の解説

北野貝戸村
きたのがいとむら

[現在地名]大宮市高木たかぎ

阿弥陀寺あみだじ村の南、大宮台地指扇さしおうぎ支台の南西へ延びる半島状の地域に位置し、南は法願寺ほうがんじ村と木下きのした村飛地。東と西は沖積低地に挟まれる。北海土・北貝戸・北野貝土などとも記した(元禄七年「上尾宿并上郷上尾村助郷村高」田中家文書、「風土記稿」など)差扇さしおうぎ領に属する(風土記稿)。田園簿には「北野(貝)戸村」とみえ、田四九石余・畑三五石余、ほかに野銭永一九九文があり、旗本山内領。山内氏は元和九年(一六二三)差扇領三千石を与えられており(寛政重修諸家譜)、このとき当村も同領になったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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