日本歴史地名大系 「阿弥陀寺村」の解説 阿弥陀寺村あみだじむら 埼玉県:大宮市阿弥陀寺村[現在地名]大宮市高木(たかぎ)木下(きのした)村の南、大宮台地指扇(さしおうぎ)支台の南西へ延びる半島状の地域の南東部に位置し、南側は沖積低地となっている。差扇(さしおうぎ)領に属する(風土記稿)。江戸時代の領主の変遷は木下村に同じ。田園簿では田四一石余・畑八七石余、ほかに野銭永四八文。元禄七年(一六九四)に検地が実施された(「御検地之節日記」東京都河井家文書)。延享元年(一七四四)には下谷原(しもやはら)の流作場検地が行われ、指扇村などとともに差扇領一三ヵ村組合に所属(「流作場検地帳」片岡家文書)。寛文五年(一六六五)の上尾宿助馬調(「絵図面村々高」田中家文書)によると、中山道上尾宿へ当村からも助人馬を出しており、勤高一五五石・役家数七。 阿弥陀寺村あみだじむら 熊本県:熊本市阿弥陀寺村[現在地名]熊本市春日(かすが)町万日(まんにち)山の南東に位置し、北は春日村、東は久末(ひさすえ)村に接する。戦国期の八王子親貞本領安堵申状(詫摩文書)に「阿弥陀村」とみえ、親貞は当村などの本領に関してすでに賜った外題安堵のほかに、正式に安堵状が欲しいと訴えている。慶長一三年(一六〇八)の検地帳では田方五町四反余・畠方五町八反余、うち山畑一町七反余、分米一〇五石八斗余で、竈数八・家数一五、男八・女六、おば一・坊主一・せがれ一、牛三と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by