戸村(読み)ならどむら

日本歴史地名大系 「戸村」の解説

戸村
ならどむら

[現在地名]只見町楢戸

小川おがわ村の北西伊南いな左岸に位置する。集落は北流する楢戸沢が伊南川に合する河岸段丘上にあり、沼田街道に沿う。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「椿・ならと 百拾九石三斗三升」とある。同年五月二六日の下伊北之内つは木村ならと村検地帳(福島県史)が残り、田方九町二反余・畑方八町九反余。慶長二年(一五九七)の藤三郎倉入在々高物成帳(同書)には「ならと」とのみ記され同高で、免四ツ三分。「会津風土記」には「楢戸」とある。椿村については詳細不明であるが、寛永八年(一六三一)九月一九日伊南川の大洪水で全滅したという(図説会津只見の歴史)


戸村
とむら

[現在地名]那珂町戸

那珂川の左岸に位置し、北は田崎たさき村。中世藤原氏那珂の一族および佐竹氏の支族がこの地に住してともに戸村氏となりその支配に属した。文和四年(一三五五)二月一一日の佐竹義篤譲状(秋田県立図書館蔵)に「那珂東郡之内戸村」とみえ、明応年間(一四九二―一五〇一)の「当乱相違地」(秋田藩採集文書)の料所には「戸村阿久津 江戸かかへ候」とあり、江戸氏に侵害されている。


戸村
くぐいどむら

[現在地名]岩井市鵠戸

上出嶋かみいずしま村の南の台地に所在。南は利根川の流作場。西方一帯には鵠戸沼が広がっていた。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)に「くゝいと 本間左衛門佐」とみえる。近世には下総関宿藩領で、宝永三年(一七〇六)の村明細帳(長野監治文書)によると村域は東西三〇〇間・南北一千間。本高二八一・一四四石、新高四〇・八石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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