千丸松城跡(読み)せんがんまつじようあと

日本歴史地名大系 「千丸松城跡」の解説

千丸松城跡
せんがんまつじようあと

[現在地名]上下町国留

千鳥ちどり山の南、国留くにどめ八幡神社の奥にある。「備後古城跡記」に「和智和泉守入道長元 延文年中此処開基、和智村より来る」とあり、三谿みたに和知わち(現三次市)にいた和智氏が延文年間(一三五六―六一)にこの地に来て築城したとする。しかし「備後古城記」は和智豊後守元長の城として「豊後守天文の頃左衛門尉と云、此所に城を築、時に時鳥のさへづりければ、百人一首に曰、郭公鳴つるかたをながむればただ有明の月ぞ残れると有、城を築大に不吉の相也迚、此城破却し、千丸松へ築替申されし、天正廿年周防国へ引越」とあり、天文年中(一五三二―五五)に和智元長が初め別の所(深江の郭公山城か)に築城したが、途中破却してこの城を築いたという伝えを載せる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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