南笠屋町(読み)みなみかさやまち

日本歴史地名大系 「南笠屋町」の解説

南笠屋町
みなみかさやまち

[現在地名]南区笠屋かさや

綿袋めんたい町の南にあり、三休橋さんきゆうばし(太左衛門橋)筋の両側町。北は周防町すおうまち筋から半町北まで、南は八幡はちまん筋まで。町名は安政三年(一八五六)水帳(中之島図書館蔵)の奥書写によれば元禄七年(一六九四)からで、明暦元年(一六五五)から元禄七年までは南新笠屋みなみしんかさや町といった。これ以前の町名は不明だが、初発言上候帳面写によれば道頓堀笠屋どうとんぼりかさや町といった時期もあった。大坂三郷南組に属し、元禄一三年三郷水帳寄帳では屋敷数二九・役数三〇役で、うち年寄分一役が無役。年寄は茨木屋小兵衛。勧化三〇町組の一町で、嘉永二年(一八四九)の坪数高年番定帳(大阪市立中央図書館蔵)によれば坪高二千七七八坪半、年寄分を引いた二千六九一坪が負担坪数。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む