印内町(読み)いんないまち

日本歴史地名大系 「印内町」の解説

印内町
いんないまち

[現在地名]下関市大字豊浦町

長府の北部、鞏昌きようしよう川の北、南北に通る山陽道の両側に広がる。

江戸時代初期の様子を伝える長府古図(毛利家蔵)には「院内」とあり、山陽道に沿って町が形成されている。「豊府志略」には「陰内」とみえ、「東は浜部人家八幡松原まで続けり、西の方は陰陽師の住居也、俗人の口碑に往昔仲哀天皇豊浦都に行宮の御時、此地帝居の鬼門に当れる故、術数者を此地に居らしめ、災夭の気を厭しめ給と也云々」とある。江戸時代中期の様子を伝える長府古図(乃木家蔵)によれば印内町とみえ、鞏昌川に架かる山陽道の橋のほとりに一里塚があり、山陽道の裏通もできて町屋が建ち並び、前の古図に比べて町屋が北に延びている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む