及木村
およびきむら
[現在地名]三郷村大字明盛 及木
梓川左岸扇状地の扇央に位置する。初見は、文明八年(一四七六)下諏訪春秋両宮御造宮帳(諏訪大社上社文書)で、籾一四俵を所役している。村高は寛永年代(一六二四―四三)以降あまり増加がみられない。慶安四年(一六五一)検地には田二三町余、畑三町余であったが、延宝四年(一六七六)に再検地を受け、田二四町余、畑一〇町余となり、九五石余の田を畑に入れ下げてもらっている。当村は庄野堰の枝堰の及木堰掛りであり、流末にあったので、水不足によるものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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