日本歴史地名大系 「南安曇郡」の解説
南安曇郡
みなみあずみぐん
県西部、梓川・
郡名の初見は、天平宝字八年(七六四)一〇月の正倉院御物布袴墨書銘で、「信濃国安曇郡」とある(正倉院宝物銘文集成)。大同三年(八〇八)成立と伝えられている「大同類聚方」に、透立薬(腹痛薬)を造る「安曇郡県首」がみえる。「延喜式」神名帳に「
〔原始〕
縄文前期の土器が安曇村
〔古代〕
安曇郡の郡名はこの地に安曇氏が栄えたことによるもので、安曇氏の初見は、天平宝字八年一〇月の正倉院御物布袴墨書銘で、「信濃国安曇郡前科郷戸主安曇部真羊調布壱端
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報