日本歴史地名大系 「吉岡庄・中庄」の解説
吉岡庄・中庄
よしおかのしよう・なかのしよう
「大乗院雑事記」の寛正二年(一四六一)一二月二一日条に「若槻庄出作百姓、一乗院家領吉岡庄内ニ在之」とみえる。ここに興福寺一乗院領吉岡庄がうかがえる。また三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の
次に横田庄の前記の四至のうちに「西ハ中庄一乗院番条大乗院ヲカキル」ともみられる。ここに興福寺一乗院領中庄が知られる。関連して、「大乗院雑事記」の文明二年(一四七〇)一〇月一一日条には「横田庄出作百姓等、吉岡中庄在之間」と記されているので、吉岡・中の両庄はもと一体的であったものか。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報