吉江中村(読み)よしえなかむら

日本歴史地名大系 「吉江中村」の解説

吉江中村
よしえなかむら

[現在地名]福光町吉江中

田中たなか村の西と北、小矢部おやべ川東岸にある。弘長二年(一二六二)三月一日の関東下知状(尊経閣文庫所蔵文書)にみえる石黒いしぐろ庄吉江郷の遺称地。元和五年(一六一九)の家高新帳に中村とみえ、田中久三郎組に属し、役家数七。寛永一一年(一六三四)まではなか村とよばれていた(「礪波郡拾弐組村名附帳」礪波町村資料)正保郷帳では吉江中村とあり、高七八一石余、田方五二町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高七四〇石、免五ツ三歩、小物成は山役五四匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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