日本歴史地名大系 「吉羽村」の解説 吉羽村よしばむら 埼玉県:久喜市吉羽村[現在地名]久喜市東(ひがし)二―三丁目・吉羽野久喜(のぐき)・古久喜(こぐき)・青毛(あおげ)の三ヵ村の南にある。南は中落堀(なかおとしぼり)川を境に和戸(わど)・国納(こくのう)(現宮代町)の二村。現群馬県勢多(せた)郡富士見(ふじみ)村萩林(しゆうりん)庵所蔵の銅造阿弥陀如来立像の応永三四年(一四二七)五月一五日付背面銘に「武蔵国太田庄南方吉羽郷」とみえる。永禄一三年(一五七〇)正月六日の梶原政景書状(三戸文書)にみえる「吉場」は当地と考えられ、梶原政景から三戸駿河守に宛行われている。百間(もんま)領に所属。元禄八年(一六九五)上野前橋藩酒井氏の検地があった(風土記稿)。田園簿によると田高三六六石余・畑高三二八石余、幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by