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新義真言宗 しんぎしんごんしゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

新義真言宗
しんぎしんごんしゅう

古義真言宗の対語新義派ともいう。興教大師覚鑁 (かくばん) を祖とする豊山 (ぶざん) ,智山の両派をいう。覚鑁は保延6 (1140) 年に高野山東寺派の真言宗の主張している大日如来本地法身説に対し,自性加持説を唱えたため分裂し,和歌山県根来 (ねごろ) に退いて一乗山円明寺を開創した。正応1 (1288) 年に覚鑁の血脈を受けている頼瑜は,弟子を率いて高野山に帰ったが,再び弟子とともに退いて根来寺を建立したので,完全な分裂となり,新義真言宗が分立した。根来の法統は,のちに奈良長谷寺専誉と,京都智積院の玄有に伝わったが,前者を豊山派,後者を智山派と呼ぶ。

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世界大百科事典 第2版の解説

しんぎしんごんしゅう【新義真言宗】

高野山を拠点とする空海以来の真言宗(古義真言宗)に対し,紀州根来(ねごろ)寺に拠った覚鑁(かくばん)を宗祖とする一派。現在は京都智積(ちしやく)院を本山とする真言宗智山派と,奈良県桜井市の長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派が二大宗派で,根来寺は別に新義真言宗本山を称する。 平安時代末期の僧興教大師覚鑁は,肥前国に生まれ,仁和寺興福寺,東大寺を経て高野山に登り,鳥羽上皇の絶大な信任を得て,1132年(長承1)山上に大伝法院,密厳(みつごん)院を建立し,また,伝法会料として紀伊国7ヵ荘の寄進を受けた。

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大辞林 第三版の解説

しんぎしんごんしゅう【新義真言宗】

空海を高祖とし、覚鑁かくばんを宗祖とする真言宗の一系統。本地身説法を説く高野山の教学(古義)に対し、加持身説法などの新義を唱えたもの。覚鑁が開いた大伝法院根来寺を中心としていたが、のちに智山(京都智積院)・豊山(大和長谷寺)二派が分派成立。新義派。 → 古義真言宗

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新義真言宗
しんぎしんごんしゅう

真言宗の一派。古義真言宗に対する。紀州根来寺(ねごろじ)(和歌山県岩出市)を開いた覚鑁(かくばん)(1095―1143)を派祖とし、その後、大和(やまと)長谷寺(はせでら)(奈良県初瀬町)を総本山とする豊山派(ぶざんは)、智積院(ちしゃくいん)(京都東山七条)を総本山とする智山派(ちざんは)とに分かれる。[宮坂宥勝]

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世界大百科事典内の新義真言宗の言及

【真言宗】より

…さらに1288年(正応1),大伝法院方の頼瑜は高野山金剛峯寺と袂別(べいべつ)し,大伝法院などを根来の地に移し,根来寺として新たな出発を行った。これがのちの〈新義真言宗〉の成立であり,これに対して従来の系統をのちに〈古義真言宗〉と呼ぶようになる。頼瑜は,金剛峯寺の法性,道範らの教主本地身説に対して,教主加持身説を説いた。…

【根来寺】より

…和歌山県那賀郡岩出町にある新義真言宗の本山。根来山大伝法院と号し,根来寺は通称。…

※「新義真言宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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