呉原庄(読み)くれはらのしよう

日本歴史地名大系 「呉原庄」の解説

呉原庄
くれはらのしよう

康平元年(一〇五八)の大和国竹林寺解案(東大寺文書)は「興福寺別院竹林寺」が「小代殿失火」の際に同寺所領文書が紛失したために左京職に訴えたものであるが、同寺領として「寺廻高市郡南郷」「忍海郡興田庄(一〇町、橿原市の→興田庄、「宇智郡(一町五段七〇歩)があげられている。うち寺廻分の坪付・面積は、呉原条一里八坪・一二坪・二七坪・二八坪・三一坪・三二坪、二里四―六坪・一〇坪・一五坪・二七坪・二八坪・三〇―三四坪・三六坪、五里三六坪、檜前ひのくま条二里一三坪、面積合計七町一段七四歩である。この坪付によると、同寺田畠の所在は明日香村大字栗原くりはら辺りとなり、安部山あべやま庄・梨子なし庄と交錯している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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