出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寺院の所有する田地で,食封(じきふ)とともに寺院を維持する経費にあてられる。令制以前から存在したが,律令制下では一般の田地と異なって,収授の対象から除かれている。令では官人・百姓が,田宅・園地を寺に布施または売買することを禁じたが,寺院が寺田を売ることは認められた。《令集解》にみえる明法家の古記説(大宝令を注釈した説)によれば輸租田とするが,田租は寺院の収入になり,実質的には不輸租田と同じである。〈民部例〉《延喜式》などでは不輸租田の中に入れられる。ただし,国家から寺田と認定された田が不輸租田であり,個人の施入や寺院の開墾した田地がすべて不輸租田になるのではない。田地が荒廃化した際の借佃は,公田として扱われた。寺田は自家労働力による耕作や,雇傭による直接的経営も存在したが,一般的には荘園周辺に住む農民の賃租で耕営された。初期荘園と呼ばれる膨大な墾田の開発が進行するのは,749年(天平勝宝1)に諸寺の墾田地の面積額が定まってからである。
執筆者:吉村 武彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
古代から中世にかけて存在した寺院の所有田。その起源は大化(たいか)(645~650)前代にさかのぼり、大化以後は国家の厚い保護を受け、班田収授制のもとでは収授の対象から外され、また不輸租田(ふゆそでん)とされた。寺田が不輸租田となったのは、寺院が国家の機関とみなされていたからであると思われる。令(りょう)の規定では、官人や百姓が寺院に田地を施入・売与することは禁じられていたが、墾田永年私財法発令(743)以後、寺院は開墾・買得などにより積極的に寺田の拡大を図った。不輸租田としての寺田は、国家機関としての寺院が活動するために要する寺田に限られていたが、寺院はそれを中核に新規水田にまで不輸租田を増やし、それが寺領荘園(しょうえん)成立の一要因となった。
[村山光一]
律令制で班田収授の対象外とされた寺院の永代所有地。寺院の建築が盛んになってから,その経費や維持費を補うために設置された。律令制以前の成立。713年(和銅6)に改正された諸寺の「田記」には,寺田の所在・田積が記されている。不輸租田で租は寺に入る。古い寺田は直営方式だったらしいが,新しいものは賃租により経営された。のち寺領と混同されるが,律令制当初から存在していたものと,官省符荘として認定されていたものが正式な寺田である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…政府が,太政官符や,それをうけた民部省符を下して(これらを総称して官省符という),荘園の永代領有と,その田地からほんらい国に納めるべき租税を免除される不輸の特権とを公認した荘園。特定の神社・寺院に所有が認められた神田・寺田は,律令国家の初期にはまだ正式な不輸租田でなかったが,8世紀中期,天平宝字年間のはじめごろ,神田・寺田は公田として取り扱われるようになり,正式に不輸租田となった。そこで政府は,神田・寺田を官省符で不輸租荘園として公認する手続をとったのが,官省符荘のはじまりである。…
※「寺田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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