日本歴史地名大系 「高市郡」の解説
高市郡
たかいちぐん
奈良盆地の南部に位置し、南半は
古代の高市郡は現高市郡および橿原市のほぼ全域、大和高田市・御所市の一部を包含する地域で、中心は高市御県が設置された橿原市
郡名の初見は「日本書紀」欽明天皇一七年一〇月条に「蘇我大臣稲目宿禰等を倭国の高市郡に遣して」とあり、「古事記」雄略天皇段に「倭の この 多気知に 小高る 市の高処」とうたわれ、「日本書紀」推古天皇一五年条には高市池を築いたことがみえる。「和名抄」には「多介知」の訓注があり、古代にはタケチと読んだことがわかる。
〔原始〕
この地域に人が住みついたのは縄文時代の中期以降で、飛鳥川流域の
弥生時代になると、岡地域の飛鳥京下層から前期の土器、島庄周辺では竪穴住居跡一棟が発見されている。一方、高取町内を流れる
古墳は明日香村・高取町を合わせ約八〇〇基が存在するが、いずれも後期前半―終末期にかけてのものが多い。
〔古代〕
三世紀後半から五世紀にかけて奈良盆地南部には高市県があり、これが後の高市郡名に継承された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報