安部山(読み)あべやま

日本歴史地名大系 「安部山」の解説

安部山
あべやま

安倍川の上流(大河内川とも称する)域と、その支流である中河内なかごうち川および西河内川流域一帯を含む中世の広域地名。およそ安倍川と中河内川合流地点以北の山間部をいう。阿部山・安倍山などとも記す。また安部郷とか単に安部・安倍・阿部と記されている場合も、当地域一帯をさすと思われる。

〔南北朝・室町期〕

建武三年(一三三六)一〇月一〇日の斯波家長奉書(小早川文書)によると、将軍足利尊氏の命により「安部郷」内殿岡七郎入道跡が小早川宗平に預け置かれている。暦応元年(一三三八)一〇月二九日の松井助宗軍忠状写(土佐国蠧簡集残篇)に助宗が「安部城」の合戦に参陣したことが記され、今川範国が証判している。安部城は安倍川中流右岸の内牧うちまきの南に存在した山城で、狩野氏の本城であるとともに、駿河国における南朝方の拠点でもあったという。位置的には安部山地域に属するというよりはその南側にあり、安部口にあたるところに位置する。正平一四年(一三五九)一〇月二日の書下(伊東文書)で「安部山内大嶋村」が伊東祐茂に安堵されており、同年一一月二二日の書下(同文書)では「あへのやまそまた(尊俣カ)」が祐茂に宛行われている。この二通の書下は石塔範茂のものか。延文六年(一三六一)二月九日には「安部山湯山村内夜打谷山」を祐茂に宛行った書下(同文書)が存在する。さらに貞治二年(一三六三)一〇月日の書下(同文書)で「安部山内上田村地頭郷司職」が、同四年九月八日の書下(同文書)では「安部山有重名脇そし(庶子)分」が伊東祐家に宛行われている。なおこれら三通の書下は石塔範家のものか。このように南北朝時代には伊東氏が安部山一帯を領していたように考えられるが、前記大嶋おおしま(井川上流の現井川字大島に比定)などの小地名が安部山地域内に比定しがたいこともあって、石塔氏関係の文書はいずれも検討を要する。

安部山と記された確実な史料は至徳二年(一三八五)一一月一五日の足利義満御判御教書写(今川家古文章写)で、駿河守護今川泰範に同国大津おおつ(現島田市)徳山とくやま(現中川根町)安東あんどう庄などとともに安部山が安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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