日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉徳」の意味・わかりやすい解説
呉徳
ごとく / ウートー
(1914?―1995)
中国の政治家。河北(かほく/ホーペイ)省に生まれる。北京(ペキン)中国大学に学び、在学中の1920年代末から1930年代初めに中国共産党に入党。1935年唐山(とうざん/タンシャン)の労働ストライキを指導。1942年八路軍の呂正操部団政治委員、晋察冀(しんさつき)軍区政治部秘書長として日中戦争を戦い、戦後1948年総工会の執行委員。新中国成立に伴い1949年燃料工業部副部長、1952年天津(てんしん/ティエンチン)市党委書記兼副市長、天津大学学長。1954年全国人民代表大会の天津市代表。1968年党中央委員、1975年全人代常務委副委員長、1977年党政治局員になった。1978年に「四人組」との関係や「天安門事件」弾圧の責任を問われて、党・政・軍の要職を解任されたが、1980年党中央委員に復帰した。
[加藤祐三]