中国、華北(かほく)平原の北部を占める省。略称は冀(き)。東は渤海(ぼっかい)湾に面し、西は太行(たいこう)山脈、南は衛河(えいが)(海河(かいが)の支流)でくぎられ、北は万里の長城を越えて内モンゴル高原につながる山地を含む。内部に北京(ペキン)、天津(てんしん)の両直轄市を含み、首都圏を取り囲む後背地をなす。面積約18万8500平方キロメートル(2009)、人口7424万9200(2015)。ほとんどが漢民族であるが、総人口の約4%にあたる少数民族も暮らす。おもな少数民族は満洲(まんしゅう)族(少数民族人口の72.5%、2010年時点。以下同)、回族(19.1%)、モンゴル族(6.0%)である。省政府は石家荘(せきかそう)市に置かれ、ほかに唐山(とうざん)、邯鄲(かんたん)、邢台(けいだい)、保定(ほてい)、張家口(ちょうかこう)、承徳(しょうとく)、秦皇島(しんこうとう)、滄州(そうしゅう)、廊坊(ろうぼう)、衡水(こうすい)の11地級市、20県級市、106県、6自治県、39市轄区がある(2014年時点)。
[秋山元秀 2019年6月18日]
面積の半分を占める平地の大部分は、海河の諸支流で形成される沖積平野である。北部には灤河(らんが)のデルタが発達している。太行山脈は2000~3000メートルの高度をもって南北に走り、自然の障壁をなす。気候は大陸性モンスーン気候で、夏は高温多湿であるが冬は寒冷乾燥である。緯度では北緯36度より42度に達するため南北の較差が大きい。
黄土で形成される海河の沖積平野は肥沃であるが、気候が乾燥しているため灌漑(かんがい)を施すことにより安定した生産が得られる。山地でもダム建設やポンプ掘削が進められ、灌漑されている耕地は半数に達する。
[秋山元秀 2019年6月18日]
古代においては『禹貢(うこう)』(『書経』の一編で中国古代の地理書)の冀州に相当し、春秋戦国時代には燕(えん)国があったが、黄河(こうが)流域に比べれば北方辺境の地であった。南北朝や南宋(なんそう)時代には北方異民族の占拠するところとなり、元は国都をここに置いた。以来、明(みん)、清(しん)を経て今日に至るまで、一時期を除いて中国の政治の中心はこの地域にある。河北省は1928年、中華民国時代に設けられ、中華人民共和国成立(1949)後は、かつてのチャハル省、熱河(ねっか)省に属していた万里の長城以北の山地を併入し、今日の形となった。
[秋山元秀 2019年6月18日]
中華人民共和国成立当初は保定市が省都であったが、1958年に天津市に変更(天津市は1967年直轄市昇格により分離)。1966年には保定市に戻すなど変更を繰り返したが、1968年に石家荘市が省都となって以降、変更はない。
[于 海春 2019年6月18日]
辛亥(しんがい)革命後の1912年、北洋軍閥を率いる袁世凱(えんせいがい)が北京で政府を樹立し、その死後は安徽派(あんきは)、直隷派、奉天派が頻繁に入れ替わりながらも河北省での主導権を維持した。分裂と対立を繰り返した軍閥政府はしだいに弱体化し、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党軍の北伐により瓦解。1928年7月、天津で河北省中華民国政府が成立した。しかし1935年、日本の傀儡(かいらい)政権である冀東政権(冀東防共自治政府)が成立し、河北省は1945年まで日本軍の実質支配下に置かれた。
[于 海春 2019年6月18日]
1976年7月28日、省内の唐山市中心部を震源とするマグニチュード(M)7.8の大地震が発生し、唐山市内がほぼ壊滅状態になったほか、河北省全域に大きな被害をもたらした。1979年の中国政府の公式発表によると、死者は24万人に達した。
1976年年末までに人民解放軍により35万戸の仮設住宅が建設された。復興計画として、三つの復興地区(中心地区、炭鉱開発地区、工業地区)を設定し、1986年6月までに22万5000万戸の住宅が供給された。復興事業と並行して炭鉱開発と工業発展が進められ、1985年唐山市の域内総生産(GDP)は58億元となり、1995年には499億元に達した。復興事業において、活断層の近くに市街地を残したことから、危険性も指摘されている。
[于 海春 2019年6月18日]
2015年のGDPは2兆9806億元(約57兆円=同年平均為替(かわせ)レートで換算、以下同)で、国内31の省・直轄市・自治区のなかでは7位である。経済成長率は前年比6.8%増で、全国平均(6.9%増)をやや下回った。成長率を産業別にみると第一次産業が2.5%増、第二次産業が4.7%増、第三次産業が11.2%増である。改革開放後、GDPは1978年の183億元から1990年には896億元、2000年には5044億元と急増し、2010年には2兆0394億元に達した。1978年の第一次産業、第二次産業、第三次産業の構成比はそれぞれ28.5%、50.5%、21.0%であったが、2010年には12.6%、52.5%、35.0%に、2015年には11.5%、48.3%、40.2%と変化しており、第二次産業に重点を置きながらも、第三次産業の伸びが経済成長を牽引(けんいん)してきたことがわかる。
2015年4月、「一帯一路」と並ぶ国家戦略として「京津冀協同発展計画綱要」が発表され、北京市(京)、天津市(津)、河北省(冀)の一体化した発展を目ざし中国経済の牽引役とする方針が明らかにされた。同綱要では、人口集中に伴う北京の都市問題や環境問題を、「非首都機能(付加価値の低い産業など)」の分散・移転によって解決することが目標とされている。河北省はその受け皿になると同時に「産業の転換・アップグレードの試験区」「新型都市化と都市農村協同発展のモデル区」と位置づけられた。京津冀の一体化は、本省の経済成長の起爆剤として期待されている。2016年10月滄州市で北京現代自動車の工場が稼働したほか、唐山市曹妃甸(そうひてん)では年産1500万トンの大規模な製油所が建設中である。雇用創出のほか、交通、医療、行政、情報ネットワークのなどのインフラの整備、公共サービスの向上も見込まれる。
2016年『フォーチュン』誌(アメリカの経済誌)のグローバル500社のランキングでは、河北省の企業として、201位に大手鉄鋼メーカーで国有企業の河鋼集団(本社石家荘市、売上高453億ドル)が、267位に石炭を中核に製薬、電力、航空など幅広い産業を手がける国有企業の冀中能源集団(本社邢台市、売上高378億ドル)が名を連ねている。上記以外で知名度が高いのは石炭大手の開灤(集団)有限責任公司(国有企業、本社唐山市)、電力大手・国家電網の子会社である国網河北省電力公司(国有企業、本社石家荘市)、自動車メーカーの長城汽車(民営企業、本社保定市)などである。
[于 海春 2019年6月18日]
2009年時点の全耕地面積は656万1400ヘクタールで、1996年時点(689万7100ヘクタール)と比べて約5%減少した。2009年時点の1人当り耕地面積は9.3アールで、全国平均(10.1アール)よりやや低い水準にある。とはいえ、北京市と天津市を取り囲む位置にある河北省は、両市への食糧供給基地としての役割を担っているため、トウモロコシと小麦の生産量確保が重視されている。河北省の穀物生産量は、1978年の1688万トンから、1991年には2269万トンに達し、1998年には2918万トンに増加した。2003年に2388万トンにまで減少したが、2000年代後半に補助金の増額などによる農業の機械化、高効率化などが図られた結果、2011年には3173万トンとなり、初めて3000万トンを超えて国内6位になった。以後、安定した生産量を維持している。商品作物では、綿花、油料作物のラッカセイ、ゴマなどがある。
野菜・果物生産、畜産も盛んであり、河北省における農林畜水産の総生産の約7割を占める。野菜の生産量は改革開放後増加を続け、1995年2148万トン、2005年6468万トン、2015年には8244万トンとなった。果樹の栽培面積は2008年には国内1位であったが、2009年は2位、2010~2012年は3位と後退した。ナシ、ブドウ、リンゴなどが主で、果物の生産量は1990年の175万トンから2000年には677万トン、2014年には1421万トンとなり、大幅に増加している。畜産業では、2015年の食肉生産量は462万トンで、そのうち豚肉は275万トン、牛肉は53万2000トン、ラム肉は31万7000トンであった。
水産業では海面養殖が盛んで、海面養殖のできる浅海の面積が5876平方キロメートル、干潟は1072平方キロメートルに及ぶ(2008)。2015年の水産物生産量は129万3000トンで、そのうち養殖業の生産量が72.7%を占める。
[于 海春 2019年6月18日]
開灤、峰峰(ほうほう)の二大炭田や華北油田、竜煙(りゅうえん)鉱山を有するなど、地下資源に富む。その76.1%は唐山、邯鄲、邢台、張家口、承徳の5市に集中している(2011)。20世紀初頭からイギリスや日本などによる資源開発が進められ、日本は1930年代後半から終戦まで、河北省産の石炭と長盧塩(ちょうろえん)(沿海地帯の海塩)を日本本土へ大量に輸送していた。
省内では156種類の資源が発見されており、そのうち127種類の埋蔵量が確認されている。埋蔵量が国内10位以内の資源は61種類あり、なかでも鉄鉱石(埋蔵量83億7400万トン、国内3位)、レアメタルのモリブデン(同78万7500万トン、8位)、石灰岩(同60億5600万トン、5位)、苦灰石(同13億1100万トン、1位)などが主要な資源である。また、天然ガスの埋蔵量は国内4位の2億3415万トンで、中国全体の9.6%を占める(2011)。
[于 海春 2019年6月18日]
中華人民共和国成立後、「重工業を優先的に発展させる」という国家発展戦略を背景として、河北省は1970年代までに全国工業発展の先頭に立つ地域の一つとなった。1978年時点での工業生産額は83億元で、2000年には2202億元、2010年には9554億元となった。鉄鋼・冶金(やきん)、産業機械などの設備製造、石油化学をはじめとする重工業は依然として重要な位置を占めており、工業生産額に占める重工業の割合は1978年の55.5%から、2006年には78.8%に上昇している。上記以外の主要産業には紡績、セメントなどの建材、食品加工、製薬があり、鉄鋼・冶金、設備製造、石油化学とあわせて同省の七大産業と位置づけられている。
2012年以降、過剰生産に伴う石炭・鉄鋼価格の急落などを背景に、河北省の工業は大きく落ち込んでおり、成長率は相対的に鈍化傾向にある。工業増加値(中国が工業統計において重視する指標で、工業製品の付加価値を表す)でみると、「規模以上企業」(売上高2000万元以上の企業=2011年以降の基準)の2011年の前年比増減率は28.4%増と大きく成長したが、2012年、2013年にはそれぞれ5.3%増、5.8%増と急減速。2014年はわずか0.4%増であった。同年は大気汚染の緊急対応や、北京で開催されたAPEC(エーペック)(アジア太平洋経済協力)首脳会議期間中の環境対策として省内2万以上の工場が生産一時停止を強いられたことが要因とされる。それによる損失は工業増加値で263億元(約4521億円)、増減率を2.1%押し下げたと算出されている。なお、2015年にはある程度の回復がみられ、工業増加値は前年比7.4%増となった。
[于 海春 2019年6月18日]
中国有数の保養地である北戴河(ほくたいが)や避暑山荘(後述)などの旧跡を擁する河北省にとって、観光業は産業の柱の一つである。2015年の観光業売上高は前年比34.1%増の3434億元(約6兆6000億円)で、そのうち国内観光客の旅行消費額は前年比34.3%増の3396億元(約6兆5000億円)、観光客数は前年比18.2%増の3億7000万人であった。一方、2015年のインバウンド消費は前年比16.3%増の6億2000万ドル、外国人観光客数は前年比4.0%増の延べ138万2000人であり、国内観光客に比べ低い水準にとどまる。
[于 海春 2019年6月18日]
都市部の非私営企業従業員の平均年収は5万0921元(約97万9000円、2015)である。全国平均よりも水準が低く、2000年は全国平均の83.0%、2005年は同80.8%で、2010年には同86.1%と若干改善したものの、2015年は同82.1%に低下し、抜本的な改善には至っていない状況である。
2015年の1人当り可処分所得は1万8118元(約34万8000円)で、前年比で8.8%増加した。都市・農村別では、都市部が2万6152元(約50万3000円、前年比8.3%増)、農村部は1万1051元(約21万2000円、同8.5%増)である。都市部と農村部の所得格差は2010年時点で2.73倍であったが、同年をピークに2015年には2.37倍まで下がり、若干の格差解消がみられた。
[于 海春 2019年6月18日]
2014年の海外(香港(ホンコン)を含む)からの直接投資額は63億7196万ドルで、とりわけ製造業(62.4%)に集中している。国・地域別でみると、1位が香港で全体の63.4%を占める。以下、2位イギリス領バージン諸島(6.43%)、3位ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合、6.41%)である。2012年にはマレーシアのリゾート開発業者ゲンティン・グループGenting Groupの投資により、張家口市郊外に高級スキーリゾート施設が建設された。また、イギリス領バージン諸島からの直接投資には、台湾系企業による投資が多く含まれる。
2014年の日本からの直接投資額は1億8372万ドル(2.9%)で、7位であった。
[于 海春 2019年6月18日]
鉄道での貨物輸送量は国内首位で、なかでも石家荘は石炭を省西部から東の沿海部へ輸送するための拠点となっている。高速鉄道では、2013年開通の津秦高速鉄道(天津―秦皇島)、2015年開通の津保高速鉄道(天津―保定)が通る。また、京瀋旅客専用線(北京―瀋陽(しんよう))の河北省内区間、石済旅客専用線(石家荘―済南(さいなん))は、ともに2017年に開通した。その他、主要な路線としては、京広線、京滬(けいこ)線、京九線、京哈(けいは)線、京山線(北京―山海関(さんかいかん))、京秦線(北京―秦皇島)、大秦線(大同(だいどう)―秦皇島)、津覇線(天津―覇州(はしゅう))、張唐線(張家口―唐山)などがあげられる。
2014年時点で開通している道路の総延長は17万9200キロメートルで、このうち高速道路は5888キロメートルである。
水上交通では、世界最大となる年間2億トン規模の石炭取扱量を誇る秦皇島港を有するほか、主要な港として唐山港、曹妃甸港、黄驊(こうか)港などがある。空路は、省内最大の石家荘正定国際空港を中心に、秦皇島山海関空港、秦皇島北戴河空港、邯鄲空港、唐山三女河空港などがある。
[于 海春 2019年6月18日]
河北省には4件の世界遺産がある。一つ目は1987年登録の「万里の長城」(文化遺産)で、河北省には山海関(秦皇島市)や大境門(張家口市)がある。二つ目は1994年に登録された「承徳の避暑山荘と外八廟(がいはちびょう)」(文化遺産)である。避暑山荘は清の皇帝が夏季に利用した離宮で、面積は564万平方メートルと承徳市の約半分を占め、現存する世界最大の皇室庭園といわれる。外八廟は、離宮の東と北に建てられた18世紀の寺院、霊廟の総称である。三つ目は2000年から2004年にかけて段階的に登録された「明・清朝の皇帝陵墓群」(文化遺産)である。明・清代の歴代皇帝、皇后、妃が眠る陵墓群で、河北省のほか北京市や江蘇(こうそ)省、遼寧(りょうねい)省などに広く分布する。河北省内には、清の順治帝(じゅんちてい)や乾隆帝(けんりゅうてい)の陵墓である清東陵と、清の雍正帝(ようせいてい)、光緒帝(こうしょてい)などが眠る清西陵がある。四つ目は2014年登録の「中国大運河」(文化遺産)で、隋(ずい)の文帝、煬帝(ようだい)が整備した大運河(北京―杭州(こうしゅう))が通る省の一つであり、構成資産に選定された。
[于 海春 2019年6月18日]
外務省編『海外在留邦人数調査統計』によると、2015年(平成27)10月時点の在留邦人数は203人で、居住地は石家荘、唐山、秦皇島、保定、廊坊の5市である。また河北省と友好提携をしている日本の地方自治体は、長野県(1983年締結)と鳥取県(1986)である。
2016年10月時点で河北省に進出している日系企業の拠点数は214に及ぶ。省都の石家荘市では住友商事が金属加工会社を、双日が製薬会社を合弁で設立している。また廊坊市では、中本パックスや前田製作所が子会社を置いている。
1976年の唐山地震による犠牲者のなかには日本人3人も含まれており、いずれも火力発電所建設を支援するために派遣された日立製作所の社員であった。1979年、日立製作所から慰霊を兼ねた友好記念の桜が寄贈され、現在、唐山市開平(かいへい)区にある発電所内の桜の名所となっている。
[于 海春 2019年6月18日]
山形県中央部、西村山郡の町。山形盆地の北西部に位置する。1954年(昭和29)谷地(やち)町と溝延(みぞのべ)、西里、北谷地の3村が合併して成立。町名は寒河江川(さがえがわ)の北岸にあることによる。国道287号、347号が通じ、JR奥羽本線(山形新幹線)さくらんぼ東根駅、左沢(あてらざわ)線寒河江駅からバスがある。東端を最上川(もがみがわ)が北流し、町域の大半は2河川の形成した沖積地からなる水稲単作地帯であるが、果樹栽培も行われている。藩政時代は幕府領と新庄(しんじょう)藩、上山(かみのやま)藩などの藩領が入り組んだ土地であった。最上紅花(べにばな)の栽培が盛んで、中心地谷地には豪商、地主が多く、明治末期ごろまでは最上川の河港として米、紅花、草履表(ぞうりおもて)などの集散地として栄えた。近年は草履表を引き継いだスリッパ製造や食品加工などの工業が伸びている。国の重要無形民俗文化財の谷地舞楽(林家舞楽(はやしけぶがく))が9月中旬に谷地八幡宮で催される。面積52.45平方キロメートル、人口1万7641(2020)。
[中川 重]
『『河北町の歴史』全5巻(1962~2005・河北町)』
宮城県東部、桃生郡(ものうぐん)にあった旧町名(河北町(ちょう))。現在は石巻(いしのまき)市の中央部北寄りを占める地域。1955年(昭和30)飯野川(いいのがわ)町と大谷地(おおやち)、大川(おおかわ)、二俣(ふたまた)の3村が合併して成立。2005年(平成17)石巻市に合併。河北の地名は北上川(きたかみがわ)北岸の広域呼称に由来する。新北上川が湾曲して追波(おっぱ)川となる一帯と、追波川南岸流域を占め、東端は追波湾に臨む。国道45号、398号が通じる。農業が主であったが、近年は製造業、卸売・小売業の伸びが著しい。中心の飯野川では竹細工が生産され、付近の茶園は古い歴史をもつ。また、北上川河口には三陸復興国立公園(旧、南三陸金華山国定公園)に含まれる長面(ながつら)海岸があり、夏季には海水浴客でにぎわう。
[青柳光太郎]
『『河北町誌』全2巻(1975、1979・河北町)』
大淀川以北地域をさす広域呼称。大淀川から現在の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
山形県中央部,西村山郡の町。人口1万9959(2010)。山形盆地西部,最上川と寒河江川の合流点付近にあり,町域の約7割が平地である。最上川西岸に位置する中心集落の谷地(やち)は,戦国末期に白鳥氏が築いた谷地城の城下町で,江戸時代は米,ベニバナ,特産の草履表の取引でにぎわい,六斎市が開かれていた。また明治末期に水運が衰えるまで最上川の船着場としても栄えた。耕地面積の大部分が水田という水田単作地帯であるが,果樹生産の拡大とともに食品加工業が誘致され,工業出荷額に占める割合が高くなっている。履物も下駄,草履に代わってスリッパ生産が盛んである。山形市や山形空港に近い立地条件をいかして,工業団地の造成も進められた。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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