四人組(読み)よにんぐみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「四人組」の意味・わかりやすい解説

四人組
よにんぐみ

毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の死の直後に逮捕された、その妻江青(こうせい/チヤンチン)ら側近をいう。江青のほかは、王洪文(おうこうぶん/ワンホンウエン)、張春橋(ちょうしゅんきょう/チャンチュンチヤオ)、姚文元(ようぶんげん/ヤオウェンユアン)で、4人とも中国共産党中央政治局のメンバーであった。1976年9月9日の毛沢東の死後、中国の権力中枢においては、毛沢東の死を悼むいとまもなく後継権力をめぐる闘争が毛沢東側近体制の内部で激化したが、そうしたなかで、「既定方針どおり事を運ぶ」との毛沢東〈遺訓〉を掲げて権力継承権をいち早く主張した前記の「四人組」が、同年10月6日、華国鋒(かこくほう/ホワクオフォン)・汪東興(おうとうこう/ワントンシン)らの指導する公安当局によって一網打尽に逮捕され、打倒されるという衝撃的な事件(北京(ペキン)政変)が起こった。

 北京政変は、「四人組」ら文革左派と、華国鋒・汪東興ら文革右派(もしくは文革派上海(シャンハイ)グループと非上海グループ)との権力継承をめぐる「宮廷革命」的色彩を帯びた「予防クーデター」であったが、積年の文革型政治に対する中国民衆の不満を背景に、ここに華国鋒体制が一挙に形成された。こうして北京政変と同じ日に党主席兼党中央軍事委員会主席の地位についた華国鋒は、毛沢東〈遺訓〉によって正統性を誇示したのであるが、しかし、そのような「毛沢東の影」は、中国内政全体の非毛沢東化の進展とともに華国鋒の政治的将来を拘束することにもなり、華国鋒はやがて自らが誇示した「毛沢東の影」におびえねばならなくなった。

 北京政変以後、中国では「四人組」の罪状を弾劾する異常なキャンペーンが続けられた。そして翌1977年7月、中国共産党第十期三中全会で鄧小平(とうしょうへい/トンシヤオピン)(1976年4月の第一次天安門事件で再失脚していた)は再復活を遂げた。ついで文化大革命の終結を宣言した同年8月の中国共産党十一全大会(第11回全国代表大会)では、新しい党規約のなかに脱文革を志向する「四つの現代化」が明記され、「四人組」が最悪の反革命分子として糾弾された。

 こうして自己の立場を強めた鄧小平らの旧実権派は、まもなく華国鋒への非公式批判を開始し、1980年秋の「四人組」裁判の開始とともに、党中央における文革派一掃への歩みをさらに進めた。「四人組」裁判は、全世界が注視するなかで、翌81年1月25日、党と国家の指導者に対する冤罪(えんざい)でっち上げ、迫害などの罪状により、江青、張春橋に死刑(2年の執行猶予つき)、王洪文に無期懲役、姚文元に懲役20年の判決が下された。その後、91年5月14日に江青が保釈中に咽喉癌(いんこうがん)になり自殺し、92年8月3日には王洪文も病死、2005年4月21日には張春橋、同年12月23日には姚文元が病死した。

[中嶋嶺雄]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「四人組」の解説

四人組(よにんぐみ)
sirenbang 四人幇

文化大革命中,毛沢東のもとで権力を得た江青(こうせい),張春橋(ちょうしゅんきょう),姚文元(ようぶんげん),王洪文(おうこうぶん)の4人からなる毛側近グループの総称。毛が晩年「4人の小派閥をつくってはならない」と批判したことに始まるという。1965年の呉晗(ごがん)批判を契機に文革の中心的役割を担うようになり,奪権闘争を積極的に指導した。71年の林彪(りんぴょう)失脚後は文革派の実権を独占したが,74年の「批林批孔」運動で周恩来を批判したことから,毛は彼らを警戒するようになった。76年9月の毛の死去から1カ月後,葉剣英ら長老の支持を背景に華国鋒(かこくほう)は彼らをいっせいに逮捕した。80年に開かれた公開裁判で,江青は彼らの行動はすべて毛の指示によったことを主張し,文革の罪を彼らの範囲にとどめようとした当局と対立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

知恵蔵 「四人組」の解説

四人組

いずれも党中央政治局のメンバーだった毛沢東側近の王洪文、張春橋、江青(毛沢東夫人)、姚文元の4人を指す。1976年9月9日に毛沢東が死去した後、「四人組」は毛沢東の「既定方針通り事を運ぶ」という「遺訓」を振りかざし、自分たちへの権力の移行を主張。しかし同年10月7日、華国鋒らによって全員が逮捕されるという北京政変が起こった。実態は「四人組」、つまり文革左派と、華国鋒、汪東興といった文革右派との毛沢東後継権力をめぐる党内闘争で、華国鋒自身、「あなたがやれば、私は安心だ」との毛沢東「遺訓」を掲げて権力継承の正統性を示したものの、非毛沢東化への歴史的潮流の中で次第に実権を奪われ、78年末にはトウ小平(トン・シアオピン)時代が開幕する。80年11月、「四人組」に対する裁判が始まり、党や国家の指導者に対する迫害などを理由に、翌81年1月25日、江青、張春橋に死刑(2年の執行猶予付き)、王洪文に無期懲役、姚文元に懲役20年という判決が下った。死刑は未執行であったが、江青は病気(咽喉がん)のため保釈中の91年5月14日に北京市内で自殺、王洪文・元党副主席は92年8月に北京で病死、張春橋は2005年4月にがんで、姚文元も同年12月に糖尿病で死去。

(中嶋嶺雄 国際教養大学学長 / 2007年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四人組」の意味・わかりやすい解説

四人組
よにんぐみ
si-ren zu

文革派,上海グループとも呼ばれる。中国の文化大革命 (1965~76) を実質的に指導したとされる上海を基盤とする左派的な権力集団。 1966年8月中国共産党中央文化革命小組第一副組長に就任した江青・毛沢東夫人を中心に王洪文党副主席,張春橋党政治局常務委員兼副首相,姚文元政治局委員らは,毛の命を奉じると称して文革を推進,反対派を次々に失脚させ,追放した。しかし毛の没後わずかに1ヵ月,76年 10月江青ら4名を含む多数の幹部が,毛の命令を偽造,クーデターを企てたとして華国鋒葉剣英らに逮捕された。特に江青ら4名は「四人組」の名のもとに文革期のすべての失政の責任を帰せられ,81年の公開裁判で死刑 (執行猶予付き) を含む有罪の判決を受けた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「四人組」の解説

四人組
よにんぐみ

中国の文化大革命で台頭した急進派
文化大革命推進の中心となった江青 (こうせい) (毛沢東夫人)・張春橋 (ちようしゆんきよう) ・姚文元 (ようぶんげん) ・王洪文 (おうこうぶん) の4人をさす。毛沢東の死後クーデタを計画したとして,1976年10月華国鋒 (かこくほう) 主席によって逮捕され,翌年7月党籍を剝奪 (はくだつ) された。

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世界大百科事典(旧版)内の四人組の言及

【中華人民共和国】より

…この運動が,終始,具体的政策論争のなかみを欠き,革命的言辞のみがやたらと幅を利かす一種宗教的精神運動のごとき雰囲気を伴うこととなったのは,運動を指導した毛沢東の抽象性とカリスマ性に起因する。 文革の過程は,69年4月の中共9全大会までと,それ以後76年の毛沢東の死(9月)および〈四人組〉の逮捕(10月)までの二つのサイクルからなる。 第1のサイクルは,紅衛兵の登場,実権派からの奪権,武闘,新しい権力機構としての革命委員会の誕生,などを特徴とする。…

【中国共産党】より

…72年,ニクソン訪中と日中国交正常化を実現させ,中共はのちに〈三つの世界〉論として規定される方向へ対外路線を転換した。国内的には,73年8月の第10回全国大会で,文革の混乱を収拾するため打倒された幹部の再起用が行われたが,同時に毛沢東夫人江青を中心に王洪文,張春橋,姚文元からなる〈四人組〉が党の中枢を握り,周恩来,鄧小平に代表される行政・経済の幹部と対立した。76年,周恩来,毛沢東が死去し,〈四人組〉は鄧小平の追い落しを強行したものの党の内外で孤立し,10月,華国鋒らのクーデタによって失脚した。…

【文化大革命】より

…こうしたなかで,76年4月には〈天安門事件〉が起こり,極〈左〉的言辞を弄することで能事終われりとしている江青など文革派に対する民衆の怒りが爆発する。その年9月の毛沢東の死をきっかけに,10月6日,江青,張春橋,王洪文,姚文元の〈四人組〉が逮捕され,文革は実質的に終りを告げた。 中共中央は,1981年6月の中央委員会総会で決定された〈建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議〉において,文革を,〈指導者が間違ってひき起こし,それを反革命集団に利用されて,党と国家と各民族に大きな災難をもたらした内乱であった〉と全面的にこれを否定し,こうした〈階級闘争の拡大化という誤り〉に対して,〈毛沢東同志におもな責任がある〉とした。…

※「四人組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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