日本歴史地名大系 「四万村」の解説 四万村しまむら 群馬県:吾妻郡中之条町四万村[現在地名]中之条町四万上越国境の赤沢(あかざわ)山・稲包(いなつつみ)山・木戸(きど)山・相(あい)ノ倉(くら)山など一六〇〇メートル級の山を北側に、深い四万川の渓谷に沿って集落が散在する。南は下沢渡(しもさわたり)村、北は越後国浅貝(あさかい)宿(現新潟県南魚沼郡湯沢町)。南北に長い村で、山口(やまぐち)・新湯(あらゆ)・日向見(ひなたみ)には古くから温泉がある。地名の由来は、山によって隔絶された場所を示す島から転じて四万の字をあてたともいわれる。「加沢記」によると、永禄六年(一五六三)一〇月斎藤憲広の拠る岩櫃(いわびつ)城(現吾妻町)は甥斎藤弥三郎、家臣海野兄弟などの裏切りによって落城し、憲広は吾嬬(かづま)山から細尾(ほそお)・反下(たんげ)の山を越え、「いまなみ山」(稲包山)の麓、木(き)ノ根宿(ねじゆく)峠を越えて越後国山中に着いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by