日本歴史地名大系 「堀江新村」の解説 堀江新村ほりえしんむら 富山県:新湊市堀江新村[現在地名]新湊市堀江千石(ほりえせんごく)・射水町(いみずちよう)・有磯(ありそ)・新堀(しんぼり)陀婦野(だぶの)潟近くに位置し、北は古明神(ふるみようじん)村。堀岡新(ほりおかしん)村居住の竹脇家四代茂三郎が潟周辺を開拓し、享保一七年(一七三二)に村立てされた(竹脇家文書など)。久々江(くぐえ)村の北方に展開した久々江野の沼沢地は七千五百石開といわれ、十村の津幡江(つばたえ)村宅助、大白石(おおしらいし)村(現下村)三郎右衛門などが工事を進めた。正徳元年(一七一一)に六五六石余が新開されたが、工事の費用が重なったことから、享保一〇年堀岡新村の茂三郎に銀五〇貫目で譲り渡された。村立て時の草高六八〇石、免二ツ四歩(同文書)。享保八年五〇石、同一七年二三石余、元文二年(一七三七)五〇石、寛保三年(一七四三)二〇石、寛延元年(一七四八)五〇石、宝暦八年(一七五八)二〇石、明和八年(一七七一)三〇石、天明六年(一七八六)一〇〇石の手上高があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by