大分郷(読み)おおきたごう

日本歴史地名大系 「大分郷」の解説

大分郷
おおきたごう

和名抄」所載の郷。同書の諸本とも訓を欠く。「続日本紀」和銅七年(七一四)三月一五日条に豊前国民二〇〇戸が隼人勧導のために移住したとあり、当郷はこれに伴い豊後国大分おおいた郡から移された人々の居住地であろうが、その地域は明らかでない。読みは豊後国大分郡の本来の訓に従えば「オホキタ」であろう。「日本地理志料」は蒲生かもう(現蒲生町)にあるきた北山きたやまなどの付近を想定しており、蒲生(別府川上流)に沿い、平坦地が開けていることから、郷を形成するに適地といえよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む