桑原郡(読み)くわはらぐん

日本歴史地名大系 「桑原郡」の解説

桑原郡
くわはらぐん

大隅国の北部を占めた郡で、八世紀前半に贈於そお郡を割いて成立したと考えられる。古代には現在の霧島町・福山ふくやま町・吉松よしまつ町を除いた姶良あいら郡各町(蒲生町・姶良町・加治木町・溝辺町・横川町・栗野町・牧園町・隼人町)と鹿児島郡吉田よしだ町のほぼ全域、および国分市西部が郡域であったと思われる。鹿児島湾奥北岸一帯から霧島山系の南西麓および薩摩・大隅の国境を形成する山地の南東麓にかけての地にあたる。古代末期から中世にかけて吉田院・蒲生かもう院、帖佐ちようさ(帖佐郡とも、現姶良町など)加治木かじき郷、横河よこがわ(現横川町)栗野くりの院、桑西くわのさい(現溝辺町・隼人町・国分市)桑東くわのとう(現牧園町・隼人町)などの院・郷などが郡域に成立、郡としての実体を失った。近世には現在の吉松町(古代には菱刈郡のうち)栗野町横川よこがわ町・牧園まきぞの町・隼人はやと町のほぼ全域と国分市西部が郡域とされ、古代の郡域のうち南端部は薩摩国鹿児島郡、南西部は始羅しら郡となった。

〔古代〕

大隅国は和銅六年(七一三)四月に日向国の肝坏きもつき・贈於・大隅・あいらの四郡を割いて置かれた(「続日本紀」同月三日条)。このとき当郡は成立していなかったが、大宰府跡出土の天平期(七二九―七四九)木簡に「桑原郡」と記されたものがあり、大隅建国以後、天平期以前に建郡されたと考えられる。ところで「続日本紀」和銅七年三月一五日条に「隼人荒、野心未習憲法、因移豊前国民二百戸、令相勧導也」とあるように、大隅国では建国の翌年、隼人勧導のため豊前国よりの移民があった。豊前国民の移住先はのちの「和名抄」などで確認される郷名から推測して大半が当郡域であったと思われる(一部は贈於郡の可能性もある)。当郡はこの移住時点か、やや遅れて贈於郡域から分置された可能性が大きい。なお「和名抄」によると当郡は国府所在郡でもあり、当郡の建郡は大隅国の成立と深く関連づけて考えねばならない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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