大和川村(読み)やまとがわむら

日本歴史地名大系 「大和川村」の解説

大和川村
やまとがわむら

[現在地名]糸魚川市大和川

田伏たぶせ村の西、集落は日本海沿いに立地。うみ川は大和川ともよばれ、流路固定以前は村域内で海に入ったこともあったと思われる。集落背後から南方金山かなやま城跡への道が通じる。正保国絵図に高四三〇石余とある。天和三年郷帳では高四七一石一斗余で、うち山高四石八斗余・塩高一二石五斗余。同年には塩場反別三町八反余で、塩屋四一があり、名請人四一とある(糸魚川市史)塩浜の村境には杭を打ち大境と称し、毎年梅雨明けに七間半・八間半の幅で分けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大和川村の言及

【糸魚川[市]】より

…新潟県南西部,姫川の下流一帯を占める市。1954年糸魚川町と浦本,下早川,上早川,大和川,西海,大野,根知,小滝の8村が合体,市制。人口3万2931(1995)。白馬連峰と頸城(くびき)丘陵が南に展開し,山地が広く,上信越高原および中部山岳国立公園と白馬山麓県立自然公園に含まれている。地名はトゲウオ科のイトヨの生息する川に由来するという。フォッサマグナ西縁の糸魚川‐静岡構造線が姫川の谷を通り,これを境に東の第三系と西の古生界を分かつ,地質学上重要な地域である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」